【津の風景】津陸軍墓地

近鉄久居駅から自衛隊駐屯地を越えて少し歩いたところに、津陸軍墓地があります。

駅前に広がる陸上自衛隊久居駐屯地は、かつての歩兵第三十三聯隊の兵営があった場所で、その意味で旧軍の歴史を受け継いでいる場所です。駐屯地内には、その当時からの建物も目に付きます。




事前に申請すれば駐屯地見学もできるようですし、桜の季節などには一般開放などもあるようなので、敷地内に入ってそれらの建物を見る機会もないではありません。今回はそこまでやっていませんので、敷地の外から眺めるのみです。

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/sta/hisai/

余談ですが、久居の駅前には、飼い主の博士の出身地ということで、忠犬ハチ公の像がありました。

さて、肝心の陸軍墓地です。久居駅から言うと国道165号線を越えて、池とクリニックを過ぎた先にあります。特に囲われているわけではありませんが、域内は津市によって公園墓地として整備されています。


域内の墓碑・慰霊碑類は3基のみ。入り口側から「シベリア抑留死没者慰霊之碑 平和の礎」「合祀碑」そして「満洲事変戦病没者合同墓碑」と並んでいます。




ただし、もう1基、陸軍墓地の外、隣のクリニックから道を挟んで向かい側の角に、「軍馬軍犬之碑」が建っています。いま陸軍墓地まで歩いてきた道沿いの目立つところにありますから、見逃すことはまずありません。


言ってしまえば、当地にはこれだけしかありませんので、ただ行っただけではほとんど何もわからないと思います。そこで、いつも参照しているこちらのブログの記事をご参照ください。この墓地から自衛隊駐屯地の歴史に至るまで、詳細で懇切丁寧な解説がなされています。

大日本者神國也 - 津陸軍墓地
大日本者神國也 - 津陸軍病院

この記事によれば、津の陸軍墓地がこの地に定まったのは1934(昭和9)年と言います。軍人墓地としてはかなり遅いものです。それ以前には1908(明治41)年以来の陸軍埋葬地が兵営から離れた別の場所にあったとのことですが、そこには痕跡らしきものはどうも残っていないようです。1908年設置でここと大差ない面積だったようですから、そちらにも合葬墓碑*1しかなかったのかもしれません。それ以外には、一部の佐官クラスの個人墓地があったかどうか、という程度でしょう。

個人的には、この墓地の建立物をすべて確認しても、碑の揮毫者以外の個人名が一切見られないことに興味を覚えました。死者個人をここにつなぎとめるよすがは「歩兵第三十三聯隊」という郷土部隊の部隊名しかなく、これでは、一人一人の死者を具体的に想起する力は弱くなるのではないでしょうか。

そう考えると、ここでの慰霊追悼行為は、死者個々人を弁別したものではなく、戦没者一般を対象にした抽象的なものにならざるを得ないでしょう。

(もちろんそれは、良し悪しの問題ではありません。)

今年も厳かに慰霊祭 久居英霊合祀碑顕彰会
2013年6月6日号,地域


英霊の冥福を祈る参列者たち

 5月26日、久居英霊合祀碑顕彰会=竹林武一会長=は津市久居野村町の旧陸軍墓地内の『英霊合祀碑』で今年度の慰霊祭を行った。

 同碑は昭和9年、満州事変より帰還した三重の郷土部隊・歩兵三十三連隊が現地から持ち帰った戦友たちの血と汗が染み付いた土を積んで、建立したのが始まり。その後、日中戦争や太平洋戦争などで散華した三十三連隊など三重ゆかりの部隊の英霊を合祀。平成7年、旧三十三連隊関係者による『歩三三会』より引き継ぐ形で旧久居商議所が中心となって設立した『久居英霊合祀碑顕彰会』が慰霊祭を行っている。

 慰霊祭の神事は野辺野神社の山中理宮司が執行。地元選出の県議・市議を始め関係団体や、陸上自衛隊久居駐屯地と県内自衛隊各駐屯地・基地の幹部ら60名が参列した。

 参列者を前に竹林会長は「今日の尊い平和は英霊の犠牲によるものであり、冥福を祈ると共に感謝をささげる」と慰霊の言葉を述べていた。

2013年6月6日 AM 4:55

http://furusato-shinbun.jp/2013/06/20243.html

上に書いたようなことを考えるに至ったのには、名古屋の陸軍墓地との比較によるところが大きいのですが、そちらの墓地についてはまた改めて。

*1:少なくとも、現在の陸軍墓地にはない日露戦争関係の墓碑はあったはずです。