だいぶ間が空きましたが、こちらの続きです。
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前回記事の最後の階段を上りきったところがこちら。
この突き当りに慰霊塔があるのですが、その前にちょっと脇見。
この石碑が、刻字をセメントで潰されているのでちゃんと読めないんですよ。たぶん、後で見る陸軍墓地への道標だろうと推測しているのですけど。
ま、そっちは後で見るとして、まずは慰霊塔から見ましょう。手前右手に、説明を刻んだ小さめの石板があります。
第二次世界大戦末期、ここで忠霊塔の建設に着手していたものの、完成を見ることなく敗戦し、戦後改めて愛媛県によってこの慰霊塔が建てられたという経緯のようです。完成は1954年です。
慰霊塔とは名乗っていますし、上に碑が載っかってはいますが、この施設のメインは明らかにその下、地下納骨堂にあります。おそらくは骨壺に収められた遺骨が、そこにはあるのでしょう。おおよその想像はつきます。
時期的には、鳥取陸軍墓地の戦没者慰霊塔(1953年)と同じような年代です。
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ついでに言うと、ここでもう一つ思い出されたのが韓国・清州の忠魂塔です。あれもそもそもの建立は1955年、ほぼ同年代なんですが、デザイン的に見て、戦前戦中に日本軍が各地で盛んに建てていた忠霊塔にそっくりなんですよね…。
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その点、この松山とか姫路とかで見られるものは、デザイン的に戦前との決別、とまではいかなくとも、少なくとも戦後的な意匠をもって差別化することは意識されています。
…って、姫路の名古山墓地、まだろくに記事にしてなかった。また気が向いたらやります。
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さらに言えば、もっとあからさまに決別を図ったこの時期の物件に、熊本・小峰墓地の忠霊塔(1954年)がありますね。デザイン的にもさることながら、戦前の陸軍墓地の墓碑を引き抜いてこの下に埋め固めているという話ですから。
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でもって、話が横道にそれましたが、この丸山墓地、この慰霊塔の裏手にまだ続きがあります。先ほど見た道標が示しているであろうルートを通っても、この場所に出てくるのですが、そこについてはまた改めて。
追記:なお、姫路の軍人墓地はこちらです。