【姫路の風景】秋の名古山墓地・その3:軍人墓地を訪ねる。

飛び飛びですが続きです。

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名古山墓地と言えば、目立つのはまずこの仏舎利塔な訳です。管理棟などのある高台に聳え立っています。

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まあ今のところ、こちらにはさほどの関心はないのですが、墓地内での現在位置を把握するのには役に立ちます。

今回のいちばんの目的地は、この塔を仰ぐ傍に位置します。

まずは消防の碑。

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それから講話館。

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そして、これらとともに広場を囲むように位置するのが、軍人墓地です。

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積み上げられているのは、元々あった軍人墓地の墓碑です。軍人墓地を名古山に移転・改葬した際、遺骨を納骨堂に納め、墓碑をこのような形で残したようです。

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つまり、案内板にも「軍人墓地」と明記されていますが、ここがそうなったのは戦後の話、ということになります。

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とは言っても、納骨堂ができてから数えて65年、明治初年から数えたらもう昭和に入るだけの年月が過ぎています。「慰霊の場といて定着した」とも言えますし、「それだけ戦争が遠くなった」とも言えるでしょう。

とりあえずこの時は、訪れる人もなく、静かなものでした。