【ソウルの風景】良才市民の森

つい最近まで、最寄りの地下鉄駅(3号線良才駅)からは離れていて少々不便な場所だったのですが、新盆唐線の開通で都心直結の駅(良才市民の森駅)のど真ん前となったのが、良才市民の森です。


いわゆる江南地区であるとはいえ、都心から少し離れた瑞草区のこのあたりの開発は遅く、この市民公園がオープンしたのは1986年といいます。

良才市民の森(양재 시민의숲) - 韓国観光公社公式サイト

良才市民の森/ヤンジェシミネスッ - ソウルナビ

したがって、孝昌公園や南山公園のように1970年代以前の歴史を感じられるものはここには何もないわけですが、逆に1990年代を感じさせるものをたくさん見ることができます。

いちばん目立つのは、やはり何と言っても梅軒尹奉吉記念館でしょうか。道沿いに大きく見えますからね。

尹奉吉記念館は上海にもあり、そこを訪れたことを記事にした時に、この良才の記念館についても少し言及したことがあります。

【上海の風景】魯迅公園の魯迅のお墓と梅と桜

以前には中の展示も見学したこともあります。今回訪れた時には閉館していましたので、展示内容についてはパスします。入り口前の大階段は、子供たちのいい遊び場になっているようです。




尹奉吉については、記念館の近くに記念碑・記念像も建てられています。これらの建てられた時期を見ると、おおむね1980年代末から1990年代にかけてであり*1民主化直後の時期に彼が歴史的人物として何がしかの注目を集めていたことがうかがわれます。




そして、これらの尹奉吉関連施設から道路を挟んで反対側には、同時代の事件に対する慰霊碑が二つ建てられています。

一つは大韓航空機爆破事件の犠牲者慰霊碑。事件が起きたのは1987年、この慰霊碑が建てられたのは1990年となります。


裏側には犠牲者の名簿が生年月日とともに刻まれていて、事件に遭わなければ現在も社会で活躍していたであろう世代の人も含まれていることが見て取れます。

この慰霊碑からさらに奥に入ったところにあるのが、三豊百貨店崩壊事件の犠牲者慰霊碑。瑞草区にあったこの百貨店は1989年に開店し、1995年に崩壊事件を起こしています。事故の現場は地下鉄教大駅から北にすぐのところだったようですが、現在その場所にはアパートが立ち並んでいて、慰霊碑や記念物は特にないようです。


秋へ(ノートに眠った願いごと) - ばつ丸の「ロケ地を旅する」

この慰霊碑の裏にはやはり犠牲者の名簿があります。大韓航空機爆破事件よりもさらに若い世代を含み、また一家で犠牲になったと思しき名前もあったりして、この事件が日常を引き裂く大惨事であったことを偲ばせます。

私よりはるかに年下の犠牲者の名前も、たくさん見ました。


さて、これら二つの慰霊碑と同じ敷地内にはもう一つ、「遊撃白馬部隊忠魂塔」も存在します。朝鮮戦争に関連した慰霊碑として、いま見てきた流れからは若干異質な空気を感じさせるものですが、これもまた建立は1992年、その時代の雰囲気の少なくとも一部を、今に伝えるものと言えるでしょう。





*1:具体的には、記念館が1988年、立像が1992年、記念碑が1996年です。