【昌原の風景】新昌原駅

顕忠塔を見学したら、昌原での用事は終わりです。あとは昌原総合バスターミナルから市外バスに乗って釜山に帰るだけ。

blue-black-osaka.hatenablog.com

ですが、せっかくなので、途中でほんのちょっとだけ寄り道。

f:id:bluetears_osaka:20180220091039j:plain

このへん、機械工具系の会社がいっぱい集まったエリアになっているんですけど。

f:id:bluetears_osaka:20180105144631j:plain
f:id:bluetears_osaka:20180105144707j:plain

そんな中に「いちおうまだあります」って感じの佇まいであります。新昌原駅。

f:id:bluetears_osaka:20180105145114j:plain
f:id:bluetears_osaka:20180105144928j:plain

路線としては旧昌原市と旧鎮海市とを結ぶ鎮海線の駅ですが、2015年に旅客取り扱いをやめています。

신창원역 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전
新昌原駅 - Wikipedia
鎮海線 - Wikipedia
www.yonhapnews.co.kr

f:id:bluetears_osaka:20180105144953j:plain

ここは、旅客駅としてよりもむしろ、現代ロテム昌原工場の所在地・留置線として活用されています、

f:id:bluetears_osaka:20180105145001j:plain

現代ロテム昌原工場観察(2008年8月版)

まあ普通の人は興味がないかもしれません。namuwikiの筆者はそのへん、先刻お見通しのようです。

신창원역 - 나무위키

그런고로 창원시민이 아닌 사람이 이 역을 알고 있다면 철도 동호인일 확률이 매우 높다. 아니면 창원종합버스터미널 및 팔용동 일대를 와본 사람이라던지.

ただ、そんな寂れ切って誰も気にしていないような駅舎の前に立つ頌蹟碑が一基。

f:id:bluetears_osaka:20180105144839j:plain

これは李教烈という人物を顕彰するものです。農村だったこの地域の振興と、1961年の龍院駅(新昌原駅)の開業に貢献した人物であるようです。1904年に生まれ、1965年に亡くなったというこの人物が目にしていた風景は、どんなものだったんでしょうねえ。

この写真は石碑にもその地名が見られる旧上南面のものらしいので、こんな感じだったんでしょうか。

*순흥안씨 창원입향조*
f:id:bluetears_osaka:20180220101948j:plain

またこちらには、李教烈が生まれたという沙火里の1970年代の写真があります。この頃でもなお農村地帯だったみたいです。

경남도민일보 :: 사라진 내 고향, 금담부락을 찾아서 !

f:id:bluetears_osaka:20180220102547j:plain

鎮海線に相当する路線は、植民地時代にはすでに敷設されていましたから、李教烈も列車の往来風景は親しく目にしていたと思います。ただ、いま周辺に広がっている工業地帯は1970年代後半から1980年代にかけて整備が進められたものらしいので、今のこうした様子は、彼自身は目にしていないわけです。

f:id:bluetears_osaka:20180105144847j:plain
f:id:bluetears_osaka:20180105144858j:plain
f:id:bluetears_osaka:20180105144907j:plain

ネット上でこの人物や石碑について書いているのは、このブログ記事くらいでしょうか。

m.blog.naver.com

農村だった昌原の在りし日を偲ぶという点では、こちらのブログ記事が興味深いですね。

m.blog.naver.com

ま、ともあれ、昌原編はこのへんで完結になります。

f:id:bluetears_osaka:20180105145150j:plain

次の日に訪れた釜山・民主公園はすでにネタにしてますから、今回の旅全体がこれで完結しました。やれやれ。

blue-black-osaka.hatenablog.com