この件、全斗煥が光州に赴くということだけで、話題になるのは当然です。その裁判の内容については、このへんの日本語記事を読めばほぼ要点はわかります。
全斗煥元大統領 起訴事実を全面否認=光州事件に絡む名誉棄損
2019.03.11 17:23【光州聯合ニュース】軍が市民らの民主化要求行動を弾圧した1980年の5・18民主化運動(光州事件)に絡み、死者に対する名誉毀損(きそん)の罪で在宅起訴された韓国の全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領(87)が11日午後、光州地裁で開かれた公判に初めて出廷した。
光州地裁に到着した全氏=11日、光州(聯合ニュース)
光州地裁前で記者の質問に不機嫌な表情を見せる全氏=11日、光州(聯合ニュース)多くの死傷者を出した光州事件当時、軍人として鎮圧にあたった全氏は2017年4月に出版した回顧録で、軍のヘリコプターから市民に向けて射撃したとする故チョ・ビオ神父の目撃証言をうそだと主張。チョ神父を「聖職者という言葉が意味をなさないほど破廉恥なうそつき」と非難し、昨年5月に在宅起訴された。
この日の公判で全氏は「過去の国家機関の記録と検察の調査を基に回顧録を記した。ヘリによる射撃説の真実はまだ確認されていない」などとして起訴事実を全面的に否認した。
一方、検察側は国家記録院の資料と国防部の特別調査委員会の調査結果、捜査や公判の記録、参考人の供述などから軍によるヘリからの射撃があったという客観的な証拠を確保したとして、全氏が回顧録に虚偽の内容を記載してチョ神父の名誉を毀損したと主張した。
これに対し、全氏の弁護士は全氏が故意に虚偽の事実を記録し、名誉を棄損したのではないと反論した。
全氏は自身の後に大統領になる盧泰愚(ノ・テウ)氏らとともに79年12月の粛軍クーデターで権力を掌握。翌80年の光州事件を武力鎮圧するなどし、同年8月に大統領に就任した。95年に内乱首謀や収賄などの容疑で逮捕され、97年4月に大法院(最高裁)で無期懲役の判決が確定したが、ほどなく特別赦免された。
今回の裁判を巡っては、被告の出廷が義務付けられていない公判準備手続きが昨年7月に行われたが、その後、全氏が2度にわたり裁判を欠席したため、裁判所が勾引状を発付。この日、全氏は約23年ぶりに法廷に立った。
次回の公判は、4月8日午後2時から開かれる。
記事入力 : 2019/03/12 09:10
32年ぶりに光州入り、法廷に立った全斗煥元大統領回顧録で光州事件犠牲者の名誉を毀損(きそん)
裁判はわずか75分で終了回顧録で5・18民主化運動(1980年。光州事件)関係者の名誉を毀損(きそん)した罪(死者名誉毀損)を問われ、起訴された全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領(88)=写真=が11日、光州地裁の刑事法廷に立った。1996年に12・12軍事反乱(1979年。粛軍クーデター)および内乱の罪などで裁判にかけられて以来、23年来。光州を訪れるのは、大統領在任中の87年10月13日に全国体典(全国体育大会)開幕式出席以来、32年ぶりだ。
全元大統領は11日午前8時30分ごろ、李順子(イ・スンジャ)夫人(79)と共に乗用車に乗ってソウル・延禧洞の自宅を出発し、光州へ向かった。12時34分ごろ光州地裁(光州広域市東区芝山洞)法廷前に到着した全元大統領は、およそ10メートル歩いて法廷ビルに入った。取り囲んだ取材陣が「(起訴)容疑を認めますか」「発砲命令を否定しますか」と質問する最中に体がぶつかると、全・元大統領は「何するんだ」と一言だけ口にした。
全元大統領の出席と前後して光州地裁の正門および裏門の周辺では、5・18関連団体のメンバーや市民などおよそ2000人が、全元大統領の謝罪と処罰を要求するプラカードを持って抗議集会を開いた。この日の裁判はわずか75分で終わった。
光州広域市=金性鉉(キム・ソンヒョン)記者 , 光州広域市=チョ・ホンボク記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/03/12/2019031280012.html
全斗煥支持者・5.18関連団体それぞれの反応については、下記の記事に載っています。
それにしても、この方面での保守派の「攻勢」は、なんだかんだでずっと続いているんですが、めぼしい「戦果」が何か上がっているんでしょうかね。戦況的には損害しか被っていないように見えて仕方がないんですけど。