京阪神近辺の公営墓地をそぞろ歩きするシリーズ。特に脈略はないのですが、今回は八尾です。
JR久宝寺駅と近鉄久宝寺口駅とのほぼ中間、硬式野球場もある久宝寺緑地に接した久宝寺墓地に行ってみることにしました。八尾市内に5か所(うち1か所は柏原市との共同管理)ある市立墓地の一つです。
ネット上をざっと検索する限りでは、この墓地に言及したところは(業者さんを除けば)あまりないようです。
こちらの石材屋さんは、地元の墓地として比較的詳しく紹介しています。動画付きです。
www.osaka-sekizai.jp
www.youtube.com
じゃあまあ、ちょっと紹介していきましょうかね。八尾市の観光データベースは場所を紹介するだけで何も書いていませんけど、この辺りではよく知られている行基ゆかりの河内七墓には及ばないにしても、ここもなかなかの歴史を持ってますよ。
入口近くのこの石碑に、墓地の沿革について比較的詳しい説明があります。葭内(よしうち)氏との関わりで近世において成立したとされていますが、それ以前にも古墓があったと推測されること、昭和初期に周囲の農地を買収して拡張したことなどが記されています。
実際、ここには江戸時代の墓もかなり目につくのですが、無縁塚には平成15年度の調査について説明した石碑が建っていて、500基の無縁墓*1が確認され、多くの無縁墓碑が整理されたと記されています。
ここまで調査して、きちんと整備しつつ維持されているわけですから、八尾市としてももう少し情報を深掘りして公開してもいいのではないですかね。墓地管理委員会の意向次第なのかもしれませんが…。
ともあれ、整理された墓地はこんな感じです。古いお墓もさることながら、軍人墓がかなり数多く建てられています。いずれも、旧久宝寺村出身の人々のものだと思われます。
こうして見ると、いちおう八尾市立の墓地ということになっていますが、「八尾市」というくくりに解消されない「久宝寺村」(〜1948年)の枠を強く感じます。
geoshape.ex.nii.ac.jp
www.city.yao.osaka.jp
*1:江戸時代のもの389基、明治時代のもの26基、大正時代のもの10基、昭和以降のものが75基あったといいます。