牟田和恵先生の「宇崎ちゃん」論はどこが問題か。

「宇崎ちゃん」論というまとめ方に異論はあるかもしれませんが、そう読まれることは前提とされていると思うので、とりあえずこれで。

牟田和恵と言えば、フェミニズムの研究者としては当代随一と言ってもいい方です。この人の議論を検討することは、ツイッター上のあれやこれやの主張にかかずらわること以上に意義あることだと思います。

改訂版 ジェンダー・スタディーズ (大阪大学新世紀レクチャー)

改訂版 ジェンダー・スタディーズ (大阪大学新世紀レクチャー)

ここで取り上げるこの文章も、牟田さんの立場から言うべきことが尽くされた、学ぶところの多い読みものであると思います。

でもやっぱり、こと宇崎ちゃんに関しては、私は牟田さんには賛同しかねます。

結論から言えば、問題点は冒頭にあります(その意味で「議論以前の話である」という点に関しては、牟田さんと私は一致しています)。

牟田さんは、件の宇崎ちゃんのポスター(クリアファイル)を「過度に性的な絵」だという前提で、その後のすべての議論を組み立てている。しかしその点にコンセンサスは得られていない

この件に関する限り、問題点はここにあります。ここが前提として共有されない限り、その先の議論は(極論すれば)意味がない。

ただ、意味がないなりにいくつかコメントするとすれば、例えば、乳首どころか胸元に至るまでまったく露出のない乳房のフォルム・ライン(のみの描写)をもって「女性の過度な性的描写」と評することが妥当なのか。「トレーを持って立っている」という日常的なシチュエーションが、女性の性の断片化やモノ化を招く「不自然なポーズ」と言えるのか。

私はぜんぜん納得できませんし、そこの部分の説得に失敗しているから、宇崎ちゃんコラボへの「批判」が強い反論を受けて、議論が収束しないのでしょう。とすれば、問題はまず第一に批判者の側の説得力のなさにあるはずです。

「話が終わらない」のは、宇崎ちゃんの側の問題ではない

なのに、「宇崎ちゃんの側に問題がある」という前提で議論を進めると、問題は解決するどころか、新たに余計な問題を生んでしまいます。

「このキャラとコラボするにしても、もっと穏当な絵柄をポスターにして」云々というのは、宇崎ちゃんの側に問題があることを前提にした発言のはずです。しかし、なぜそんなことを、宇崎ちゃんが強要される必要があるのでしょう。その「必要性」で説得に失敗している以上、その要求に従う「必然性」は相手にはない。

てか、絵柄やポーズ(や場合によってはおっぱいの大きさまで)を「自然なもの」にせよ、というその命令の「不自然さ」はどう正当化してくれるんでしょうか。(宇崎ちゃんと作者のアイデンティティや主体性はどこへ…?)

そもそも、宇崎ちゃんコラボの批判者たちの主張が「まったく理解されない」で、「個人のお気持ち」にされてしまうのは何故か、そこにいかなる必然性やメカニズムが働いているか。そこで「相手の理解力のせい」にして終わるのは、学術的態度とは言えませんね。「あなたが相手を理解できていない」から「あなたは相手に理解されない(つまり、説得力が持てない)」のであり、その状況を突破するには「あなたが相手(の状況や主張)を理解する」ことから始めないといけないでしょう?

こっちの文章が広く読まれているのは、そのへんに一定の説明を与えているからだと、私は理解しています。

blogos.com

で、なんでしたっけ、「下着広告」は「女性の性の主体性の回復」だから「萌え絵」な「くだんの献血ポスター」とは違うんでしたっけ?

えーとですね。それ、説得力あると思います?てか、それこそ「お気持ち」ですよ。ネットを使ってれば誰でも見る機会のある女性の下着広告を「主体性の回復」と見る見方が、万人に(=男性にも)共有されていると思ったら大間違いです。

宇崎ちゃんの広告と(よく見かける例として)DHOLICの広告、どっちが「女性の性」を「断片化」し、「人格から切り離されたモノ」として扱いうるか、「あなた方」の見解はとりあえず措いて、「向こう側」の人たちに訊いてみたらどうですか?

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あるいは、例えばこういう素材で献血ポスターを作ってみたらどうでしょう。

laurier.press
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DHOLICと提携して、献血してくれた女性にも何か配布グッズを用意しましょう。上下セットはコスト的に難しいにしても、ショーツのみならいけますかね。あるいは限定デザインのブラストラップとか。

私、真面目に言ってますよ。ただでさえ少ない女性の献血者をいかに増やすか、という観点からは、大いにあり得ると思います。もちろん、「献血ルームに行きにくくなる」という男性からの声が上がることは、覚悟しておいてください。ま、そんな「批判」などは「「エロい」と思うほうがおかしい」と突っぱねられると思いますので、つまらないクレームで中止になることはないでしょう。公共性も高い企画です。何の問題もありません。

一つ一つを真面目に論じる気はないので、とりあえずまとめに入ります。牟田さんの議論の問題は、一言で言えば「素人談義」だということです。

もちろん日本フェミニズム研究の大家であることは重々承知しています。しかし、『宇崎ちゃんは遊びたい!』がどういう作品であるかを知りもせず、批判に対してどのような反論が出ているかを議論に分け入って掘りもせず、ご自分の専門から言えることを言っているだけです、これ。

対象を知らず、知ろうともせずに、上から説教しようとするから、宇崎ちゃんを読んでいる読者からは鼻で笑われるようなことしか言えないんですよ。

ことこの件に関する限り、牟田さんの文章はめいろまさんの足元にも及びません。めいろまさんは宇崎ちゃんの件の核心がどこにあるのか(ハッキリ言えば「批判する側」の「わかってなさ」)がわかっており、牟田さんはわかっていない。ここにあるのはその差です。

cakes.mu

「宇崎ちゃん」献血ポスターはなぜ問題か…「女性差別」から考える
21世紀を生きるためのノウハウ
牟田 和恵 大阪大学教授

日本赤十字社献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房を強調するもの。「宇崎ちゃん」という名のキャラらしい。

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日本事情に詳しい米国人男性が英語で、過度に性的な絵で、赤十字のポスターとしてふさわしくない、とツイッターで発信(10月14日)、日ごろから女性差別問題について活発な発信をしている女性弁護士がそれに同意し「環境型セクハラ」と批判を続けたところ、「表現の自由だ、表現を規制するのか」「自分の基準で勝手なことを言うな」「たかが絵なのに文句を言うな」等々の、ほとんど罵倒と言ってもよいようなものも含めて、非常に多くの反批判を受けた。

私自身もこの件で複数回ツイートしたが、いずれもリツイートや「いいね」を多数いただいたものの、上記と同趣旨のリプライも山ほど浴びた。

改めて、何が問題なのか

結論から言えばこの件は、議論する以前に答えは出ている。

女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。

たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。

男女共同参画社会基本法(1999年制定)の下で策定された「男女平等参画基本計画」(2000年)でも「メディアにおける女性の人権の尊重」が盛り込まれ、2003年には内閣府の「男女共同参画の視点からの公的広報の手引き」でこれを「地方公共団体、民間のメディア等に広く周知するとともに、これを自主的に規範として取り入れることを奨励する」としている。

同じ趣旨で各地方自治体でもガイドラインを策定しているが、たとえば、東京都港区は、

「目を引くためだけに『笑顔の女性』を登場させたり、体の一部を強調することは、意味がないばかりなく、『性の商品化』につながります」「(性の商品化とは)体の一部を強調されたり、不自然なポーズをとらされることで、女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われること」(東京都港区「刊行物作成ガイドライン「ちょっと待った! そのイラスト」、2003年)

としている。

最近のものでは埼玉県が、自治体のPR動画やイベントポスターなどで過度に性的な「萌えキャラ」等が問題となっている事態を踏まえて、女性を性的対象物として描くことに注意喚起し、「人権への理解を深め、男女共同参画の視点に立った表現をすることが一層重要となっています」(埼玉県「男女共同参画の視点から考える表現ガイド」(2018年))としている。

今回のポスターはこうしたガイドライン等に抵触することは明らかだろう。

条約には強制性はないし、基本計画や自治体のものもあくまで「手引き」「ガイドライン」で、法や条例そのものではないし罰則もない。国や公共団体にはとくに遵守が求められるだろうが、一般の企業や商店を直接に縛るものでもない。

しかし私企業であれ、広告を出すにあたっては公共性を一切無視するわけにはいかないだろう。企業イメージにかかわるし、コンプライアンス意識が問われるから、まっとうな企業なら配慮は必須だ。

赤十字社はましてや日本赤十字社法による認可法人であり、公共性はじゅうぶん高いのだから、今回の事態は遺憾だ。上述の手引きやガイドラインは考慮されていなかったのかなどこの広告を出すに至った経緯を検証し今後の改善を図ってもらいたい。あわせて一般の企業も、広報にあたってはこうした観点からのジェンダーチェックを事前に行うことを常識化していただきたいものだ。

「個人の気持ち」の問題なのか?

これで「話は終わり」のはずなのだが、実際はそう簡単にはいっていない。まず問題を指摘された当の赤十字社は、「漫画ファンの若い人向けに作った」とコメントしているが(10月30日付、朝日新聞デジタル)事実として誰もが目にする場所に掲示されていたわけだから、少なくとも「それなのに設置場所について不注意であった」と反省すべきだろう。

このキャラとコラボするにしても、もっと穏当な絵柄をポスターにして、「献血していただいたファンの方には特製クリアファイルを差し上げます」とでも書いておけば想定のファンには意図はちゃんと伝わっただろう。

この件での騒動で明らかになっているのは、多くの人々に、女性差別撤廃条約やそれにもとづいて国や自治体が取り組む、女性差別撤廃に向けた取り組みの中身がまったく理解されていないことだ。ツイッターを見ていると、弁護士や評論家と称する人たちにさえ「個人の気持ちの問題」「感じ方の違いにすぎない」「表現の自由を侵すな」等の発言があったのにはまことに頭の痛い思いがした。

まずこれは、「見る人が不快に思う」からダメという言う話ではない。当然、不快に思う人もいるだろうが、重点を置くべきはそこではない。女性の性が断片化され、人格から切り離されたモノと扱われることが、女性蔑視・女性差別だから問題なのだ。

またこれは表現の自由に属する問題でもない。いつでもどこでもどんな表現でも見せてOK、なのが表現の自由であるわけがない。「エロい」画像を子どもを含めた一般の人々が目にする場所に掲げていいというのは、さすがにモラルに悖(もと)ると考えないのだろうか(なお、あの絵を「エロい」と思うほうがおかしい、たかが絵にすぎない、といった「反論」もあったのだが、さすがにそれは無理筋なのでここで触れる必要はないだろう)。

女性差別」がわからない

彼らは条約や基本計画、ガイドライン等に無知なのだろうか。その疑いは捨てきれないが、しかし多くは「確信犯」なのだろう。たかがポスターが女性差別のわけがない、こういうのは一部の女たちの勝手な言い草、だいたい女性差別撤廃条約とか基本法とか自分は賛同した覚えもない、そんなものを強制するな。…彼らの思いはこんなところなのではないか。

そういう人たちに考えてみてほしい。

物心つく前から、街頭で目にするポスター、本屋やコンビニの店頭にならぶ雑誌の表紙に、性的なポーズを取り男性の欲望に訴える女性の姿を見ない日はない。道を歩いていると見知らぬ人から容姿について卑猥な言葉を浴びせられる。学校の先生や男子たちから体つきについてからかいや嘲笑を浴びる…。

日本で普通に生きていてこんな体験をしたことがない女性はいないと断言してよいが、こうした体験は、女性たちの尊厳を傷つけ自己肯定感を奪って、生き方そのものさえ歪めてしまう。あまりにも日常的に起こっていることだから、自覚することさえなくやりすごすことも多いのだが、これはまぎれもない女性への人権侵害だ。上述の条約や基本法の警告や指摘は、女性たちにとってリアルなのだ。

あのポスターが女性差別のわけがないと言う男性は、こうした女性たちのリアルを知らずに生きてきただろう。しかしすでに、これまでの「人権」の考え方に女性の視点を入れることで「何が人権侵害なのか」「差別なのか」は変化し豊かになった。それが条約やガイドラインの文言に現れているのだ。

この流れはもう止まることはないし、今回の件含め、女性を不当に扱う表現や行為に「それはおかしい」という女性たちの声がSNS上で大きく上がるようになってきた。女性たちは間違いなく進化している。このことをしっかりと受け止めてほしい。

萌え絵ポスターと下着広告

フェミニズムは女性への性的搾取を厳しく批判するとともに、女性の性的主体性の回復、性の自己決定を主張してきた。

この二つは表裏一体なのだが、これを「矛盾」「ダブルスタンダード」と受け取る向きもあることが今回の騒ぎの中であらためてわかった。その典型が、女性用下着を身につけた広告ポスターを件のポスターと並べ、「どこが違うんだ」と怒っているものだ。

女性が肌の露出の多い衣服を着たりすることは、かつては「女のくせに恥かしい」「たしなみが無い」と非難され、「ちゃんとした」格好をするよう少女のころから女性たちはしつけられてきた。これは女性の身体を勝手に性的にまなざすがゆえのことにほかならず、女性から性的主体性を奪ってきた。

女性が自らの身体を愛し、可愛かったりかっこよかったりする下着を凛とした表情で身につけて堂々としているポスターはまさに女性の性の主体性の回復だ。これがくだんの献血ポスターと同じに見えるとは、そんな区別もつかないのかと呆れたくなるが、「女性身体=性的」、「性にかかわる批判=保守反動」という思い込みが今も日本の社会には少なからずあるようだ。

それにどうも、ある年齢以上の男性たちには、肌の露出が多かったり性的刺激が強いほうが解放的で進歩的、というような錯覚や誤解がありはしないか。

この手の炎上が繰り返されるのを見ていると、自治体や企業のお偉いさんが、内心はちょっといかがなものか、と思いつつも、堅苦しい年寄りだと見られたくなくて、若い世代のCMプランナーや社員のアイディアに「いまどきこれくらいやらなくっちゃね」と調子を合わせて追従しておられるのではないかという気がする。

21世紀のノウハウ

でも、まだ時代は過渡期、NGか否かの区別がつきにくい男性たちもおられることだろう。そういう方々に申したいのは、「身についた感覚は簡単に変わらなくとも、知識や認識は新たに学べる」ということだ。

老若問わず、女性の身体や性にかかわることがすべて「エロい」「恥ずかしい」と感じさせられてきた人々が、下着広告ポスターどころか女性下着そのものや生理用品さえ「エロい」と感じてしまったり、女性にとっては普通の服装なのに「胸元が開きすぎ、スカートが短すぎ、エロい」などと思ったりするのもやむを得ないと言えなくはなかろう。

でも、反射的にそう思うとしても、態度や口には出さないこと!それらはあくまで女性の日用品、当たり前の服装。30年前はともかく、そういうものを性的・恥ずかしいと感じる時代はもう終わっているのだと認識のバージョンアップをし、内心は表に出さず普通に振舞ってください。

それを続けていれば、同僚や友人女性たちを一人の「人間」として尊重する態度が自然と身につき、「性的」の意味の区別もつくようになるはず。

そうやって認識のバージョンチェンジをしてみれば、街角のあちこち、電車の吊り広告やスポーツ新聞に溢れる、過剰な女性の性的イメージや、男はいつでもセックスしたがっているといわんばかりの表現に、違和を感じるようになっていくでしょう。

それが21世紀を生きる現代人のスマートな感覚だと思います。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185

【仁川の風景】仁川家族公園2019夏・4:「星の床芝生葬」とその周辺

続きです。

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昇華院からスタートして、「自然の道」を回廊型納骨堂の端から端まで歩いたら、上り坂が下り坂に変わります。その谷側には、こんなエリアが広がっています。

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横断幕にも書いてありますが、ここの名称は「星の床芝生葬(별마루 잔디장)」。かつては旧来の未造成墓地があったところを造成し直して作られた芝生型の自然葬地です。

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新しいエリアは最初が肝心ですから、墓参のやり方に関するこうした啓蒙は必要なんでしょうね。

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このエリアから道路を挟んだ山側には、まだまだ未造成墓地も目に入ってきます。

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そのさらに向こう側にある巨大な共同墓域「階段式家族墓」もちらっと見えていました。

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で、下り坂をほぼ降りきったところに、献花台があります。この芝生葬地、たぶんこっち側が正面ってことですね。

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この献花台のすぐ前が三差路になっています。山側に折れると先ほどの階段式家族墓の前に出て、その先は外郭道*1につながっているはずです(階段式墓のところまでしか行ったことがない)。

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ただ、そっちは去年も雨の降る直前のタイミングで行ったので、今回はパス。体力温存しとかないと。

blue-black-osaka.hatenablog.com

その代わり、今年もセウォル号一般人犠牲者追慕館は訪問参拝してきました。

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blue-black-osaka.hatenablog.com

このセウォル号追慕館の前が、「自然の道」から「追慕の道」へと切り替わるポイントです。

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「追慕の道」沿いのことについては、さらに稿を改めることにします。

*1:「循環散策路」などとも呼ばれているようです。散策で歩くには、かなりハードそうですけど…。

正社員が不足?その前になんか言うことあるやろ。

アウトソーシングやら、雇用の非正規化やらを散々進めてきたこれまでの経緯に対して、一言でも何かコメントしたらどないですか。

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企業の6割、正社員が不足
経営や職場環境に影響
2019/10/31 17:16 (JST) ©一般社団法人共同通信社

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正社員の人手不足に関する企業の回答内容

 人手不足が深刻化する中、企業の64.6%で正社員が不足していることが、労働政策研究・研修機構の調査で31日、分かった。正規・非正規を問わず従業員が足りない企業の70%近くが「経営に影響がある」と回答。政府は女性や高齢者の就労促進策を打ち出しているが、加速化する人手不足に追い付いていない現状が浮き彫りになった。

 正社員不足が目立つのは宿泊・飲食サービスや医療・福祉の業種。同機構の担当者は「景気回復に伴い、定型的な仕事ではなく、自分で判断して現場対応できる人材が足りなくなってきた」と分析している。

 同機構が厚生労働省の要請を受け、3月に調査した。

https://this.kiji.is/562540364875777121

ちなみに、上の「告発するにゃんこ」の出典はこちら。

www.hani.co.kr

でまあ、それはいいとして、ここに出ている数字が載っているプレスリリース、「2019年9月18日」付けな気がするんですけど、これが昨日公表されたってことでいいんですかね?

www.jil.go.jp
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https://www.jil.go.jp/press/documents/20190918.pdf

で、これを読むと、雇用人員についての過不足状況について、「正社員」と「非正社員」でかなり違った認識を企業は持っているようですが、そこは重要ではないんですか?

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記事の文字数の問題もあるでしょうが、非正社員のことをまるっきり省略するのはどうかと思います。

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あと、このへんとか、人手不足の理由をめっちゃ端的かつ如実に物語ってると思うんですよね。このグラフが気にならんとか、不思議なんですけどね。

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「身の丈に合わせた」文教行政へ:英語民間試験の2020年度導入見送りか

たぶん全国で500万回くらいは言われてるんでしょうけどね。

ここまで振り回され続けてきた現高2生にとっては、不幸中の幸いとでも言った方がいいかもしれません。地獄の手前で辛うじて止まったと。

英語民間試験、20年4月からの実施見送りへ 文科省
2019/11/1 6:10

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大学入試センター試験で、受験生にリスニング用の機器を配布する担当者(1月、東京都文京区の東京大学

2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される英語民間試験について、文部科学省が実施を見送る方針を固めたことが1日、分かった。居住地や家庭の経済状況による受験機会の格差や公平性への懸念が消えず、受験生らの理解を得るのは難しいと判断した。文科省は今後、実施に向けて準備を進めていた受験生や実施団体、大学などへの対応策を決める。

英語民間検定試験は現行の大学入試センター試験の後継として20年度に始まる大学入学共通テストの英語で、導入される予定だった。「読む・聞く・書く・話す」の4技能を問うため、英検やGTECなど6団体7種類の試験を活用し、20年4~12月の間に高校2年相当の子どもらが最大2回受験。大学入試センターが発行する「共通ID」で成績を管理し、大学側に提供する仕組みだった。

しかし、民間の異なる試験を比べることへの批判や、試験会場が少ない地方の受験生らに不利になるとの懸念が出ていた。会場や日程などの実施概要も全容が決まらず、全国高等学校長協会は9月、文科省に延期を要請していた。

そうした中で、萩生田光一文科相が10月24日のテレビ番組で受験生間に格差が生じないかとの懸念について「身の丈に合わせて勝負してもらえれば」と発言。その後謝罪して撤回したが、野党が「格差を容認した」と反発し、民間試験の延期を要求していた。政府や与党の一部からも延期を求める声が出ていた。

英語民間検定試験の実施団体は試験会場の手配などを既に始めている。国公私立大の6割が同センターから成績提供を受ける予定だったため、今後入試方法の見直しを迫られる可能性がある。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51671970R01C19A1MM0000/

しかしまあこれ、いったん止めてしまって見直しが入れば、再度導入に向かうにはクリアすべきハードルが高すぎる気もするんですけどねえ。共通テストをひっくるめた今般の入試改革自体にも、影響は及ぶでしょう(あの非現実的な記述式の導入とかな!)。

blue-black-osaka.hatenablog.com

ええんやで、別にセンター試験で。せやから無理すんなって。文部科学省は他にもやらなあかん仕事も抱えてるやろから、まずそっちやってくださいな。

見送りの英語民間試験、何が問題? 3つのポイント
2019/11/1 8:01

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「英検S-CBT」の申し込み開始を知らせる日本英語検定協会の公式サイト(9月)

大学入試センター試験に代わって2020年度から始まる大学入学共通テストの英語について、政府は「英検」「GTEC」といった民間の資格・検定試験の20年度の活用を見送る方針を固めました(「英語民間試験、20年4月からの実施見送りへ 文科省」参照)。受験開始が半年後に迫る中での大転換です。英語民間試験の活用は文部科学省が進めてきた高大接続改革(入試改革)の目玉でしたが、どんな問題があったのでしょうか。

(1)公平性に不安

民間試験の活用は「読む・聞く・書く・話す」の英語4技能を測るのが目的です。そのための新たなテストは作らず、既存の民間試験を使うことにしたわけですが、共通テストの一部である以上、受験生が住む地域や家庭の経済力による有利不利の差は、極力なくす必要があります。しかし、民間試験の会場は県庁所在地など都市部が多く、離島やへき地の生徒には旅費などの負担が生じます。所得が多い家庭の生徒ほど、練習のための受験を重ねられて有利だという見方もあり、「公平性が保たれないのではないか」という不安を招くことになりました。

(2)確実に受験できる保障がない

活用が予定されていたのは6つの団体や企業が運営する7種類の試験です。英語はセンター試験で最も受験者が多い科目で、今春は53万人が受験しました。試験団体はこれだけの数の受験生が確実に受けられるよう、十分な試験会場を用意し、日程とともに余裕を持って公表する責任があります。ところが、この準備が難航しました。今になっても具体的な日程や会場は未定という試験が多く、受験生が希望する日時・場所で受験できる保障はないといわざるをえない状況でした。

(3)試験の質にも疑問

実施面だけでなく、試験そのものにも課題が指摘されています。テストの専門家らは各回の試験の難易度が均等かどうかや、問題の漏洩防止などのセキュリティー、試験機器のトラブル対策などに疑問を投げかけています。目的も内容も違う各試験の成績を、CEFR(セファール)という対照表を使ってランクづけして比べる仕組みにも「無理がある」との批判が当初からありました。資格・検定試験としては定評があっても、受験生の人生を左右する入試として十分な質を備えているかが問われています。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51661870R31C19A0000000/

【仁川の風景】仁川家族公園2019夏・3:樹木葬地と回廊型奉安堂

こちらの続きです。

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前回取り上げた合同墳墓ですけど、その背後には新しい壁型納骨堂(奉安堂)*1ができています。見たところ、まだ供用はされていない感じです。

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この裏手には、旧来型の土葬墓(非造成墓地)がまだ残っていたりもするのですが、樹木葬地もこっち側にあります。

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写真で見せると、こんな感じです。

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今更ながら気付いたのですが、この「樹木葬林追慕者名単」、満場になって久しいというのにずいぶんと下に空白が残っていますね。これ、当初の予定ではもっと大々的に樹木葬を展開するつもりやったことの名残なのではないですかね。

韓国内のどこに行っても思うことですが、樹木葬ってどうもイマイチな雰囲気が漂っているところが目につきます。

この仁川の新しい樹木葬地とか、ソウルの龍尾里1墓地なんかは、相当頑張っている方だと思います。もっとも、上の「元祖・樹木葬」に比べると、かなり変質してる気がしますけど(「自然」要素が大幅に削られている、という意味で)。

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閑話休題。このあたりは、道としては人生に疲れた後の「自然の道」ということになります。ルートとしては、昇華院とセウォル号一般人犠牲者追慕館との間を最短距離で結びます。山側には回廊型奉安堂、谷側には駐車場や奉安堂、そして家族墓・自然葬地が広がっています。

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わりと高いところを通っているので、眺めはなかなかのものです。盆地の内側(その全体が仁川家族公園)なので、墓地しか見えませんけど。

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で、今回はとりあえず回廊型納骨堂。

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入口のところの横断幕で「使用資格緩和」の告知がされていたのはここのことです。

去年の写真を見比べてみればわかりますが、増えてはいるものの、この調子ではこの周囲にもいっぱい作ってしまったある屋外型納骨堂が埋まるのはいつになるのやら…というペースです。まあ、一言でいえば、「あんまり人気ないんやろなあ…」ってことです。

率直に言ってこれは仕方ありません。樹木葬と同様、こういう屋外型納骨堂はどこも不人気をかこっています。

昌原なんかひどいもんでした。

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ソウル・龍尾里1墓地はまだマシと言えばマシか*2。でも、2墓地の方はけっこう空き家が目立ってたぞ。

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屋内型と比べれば、骨壺の置かれている環境に差が出るのは否めないですもんねえ。こっちの方が屋内型より環境負荷が小さくなるのはわかりますけど、納められる側からすれば野ざらしより室内で守られた方がいいに決まっています。まあ、ジレンマです。

今回は、人気イマイチ2トップをご紹介しました。長くなるので、ここでいったん切ります。

*1:「堂」ではなく「壇」「塀」を使った方がいいかもしれませんが、ここでは便宜的に「堂」で統一します。

*2:これはかなり初期(2000年前後)のものなので、当時は目新しさも手伝って人気があったものと思われます。

日本赤十字社+宇崎ちゃんコラボ第二弾の景品は

個人的にオススメなのは、

描き下ろし特別話「後輩と初めての献血」の袋とじ

…ですね。献血してくれた人にしか見せてあげないシークレットストーリー。読みもせずに文句を言おうとする部外者は完全排除された、選ばれし者だけのお楽しみ*1

けっこう真面目に提案しますよ。


てかね、自分の難癖の正当性を主張するために、もしくは「自分が悪いんじゃない」と言い募りたいがために、相手の粗を永遠に探しづけるといった真似、傍から見てて相当に恥ずかしいんですけどね。

ホントのホントに、こんなもんでそこまでいきりたつ必要がどこにあるのか、さっぱりわかりませんですよ。

promo.kadokawa.co.jp

着衣のおっぱいで、ですよ。

不自然な程に大きなお目目をそっちのけで、自然界に十分に存在しうる大きさのおっぱいが、そんなに気になりますかね。現実世界にそんなに害を及ぼしますかね。

あのおっぱいを目の前にした桜井センパイがあの態度なのに、なんでそこまでそこに食いつくんですかね。

もぉ手遅れかもしれませんが、悪いことは言いません。理屈をこねくり回す前に、今いちど白紙の心で、あの作品を読んでみてください。

理念以前の現実を、まず見ましょうよ。


追記:上記の締めは、下記のエッセイを読んでのものです。読んでサクッと腑に落ちたので、そのオマージュとして。

cakes.mu

ちなみにこちらも面白かったです。私の根っこはロールズにはない(と思います)けど、賛同できるところは少なくないので。

blogos.com

正義論

正義論

*1:あとで単行本には収録してください。

【仁川の風景】仁川家族公園2019夏・2:昇華院から幽宅の丘・合同墓域まで

こちらの続きです。

blue-black-osaka.hatenablog.com

人生の道を悩みながら歩いて突き当たると、そこには火葬炉のある昇華院が建っています。火葬炉だけでなく、葬礼式場や売店・食堂などもあります。

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いつものようにソルロンタンをここで食べた話とか、もういいですよね。割愛します。ちなみに食券制です。売店で食券を買います。「どこの遺族か」と尋ねられることもありますが、一般人でも別に問題はありません。

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「国立空の森追慕院」とか「星の河園*1」とか、書いてありますね。

で、この昇華院の前にあるのが「幽宅の丘」。韓国で「散骨」と言えば、この施設に遺灰を収めることを指すのが普通です。骨壺の中の灰を、幽宅の丘の投下口からその下(築山内部の空間)に「撒く」ということになりますから、その時点で個別性は消失します。

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詳しくは、こちらをどうぞ。

blue-black-osaka.hatenablog.com

幽宅の丘に投下された遺灰は、築山の下で蓄積されていきますから、いずれそこから運び出されることになります。そうした灰の行き先が、すぐ近くにあります。

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ちなみにこれ、「散骨を幽宅の丘以外の場所(例えば樹木葬地とか)でやったらあかんで」といった趣旨のことを書いてあります。

で、このスロープの上、こちらですね。去年も訪れたのですが、このへんで雨がかなり強くなってきたことを覚えています。

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blue-black-osaka.hatenablog.com

ただ、ここの合同墳墓、「幽宅の丘造成~2016年1月19日まで」の遺灰を収めていると案内板に書かれています。2016年のその日付はおそらく無縁故合同墓と合同墳墓を合わせてこの場所に移設した時点を意味するものを思われます。つまり、移設後にここに新たな遺灰を埋めることはしていない、ということでしょう。

なので、2016年1月下旬以降の遺灰はここではないどこか別の場所に移されていると思うのですが、今のところそちらについては情報を持っていません。どこか別の場所がすでに用意されているのか、あるいはもしかしたら、その後まだ幽宅の丘が満杯になっていないのかもしれません。

*1:当て字がこれでいいかは若干自信なし。

日本赤十字社+宇崎ちゃんコラボに対する的確な言語化

一読して唸りました。なるほど、こう書けばいいのか。

これなら、宇崎ちゃん本人や桜井センパイにも、マスターや亜実さんにも、榊くんにも月さんにも見せて読んでもらえる。

私個人の見解に過ぎませんが、これはめっちゃ的確で有用な言語化です。後々読み返す価値もありそうなので、ここに備忘として。

日赤の献血ポスター「宇崎ちゃん」が何の問題もないワケ
2019年10月27日 ライフ 秋山悠紀(ライター)

先日ネット上で大きな話題となった日赤と『宇崎ちゃんは遊びたい!』のコラボキャンペーンについて、ライターの秋山悠紀さんが持論を展開します。

萌え絵は環境型セクハラなのか

 日本赤十字社(以下、日赤。港区芝大門)と人気コメディ漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』(KADOKAWA)がコラボレーションしたキャンペーンが物議を醸しています。問題となっているのは、ウェイトレスと思しき同漫画のヒロイン“宇崎ちゃん”が描かれているイラスト。

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「宇崎ちゃんは遊びたい!」との血液センターコラボイメージ(画像:アニメイトホールディングス)

 着用している黒シャツの胸元は、その形がくっきりわかるほど大きな胸が強調されており、逆への字に曲がった“困り眉”に潤んだ瞳、八重歯というルックスをしています。そして吹き出しには「センパイ、まだ献血未経験なんスか?ひょっとして注射怖いんスか?」というセリフ。

 このイラストに対し、弁護士の太田啓子さんがツイッター上で2019年10月14日(月)、「本当に無神経。なんであえてこういうイラストなのか。公共空間で環境型セクハラをしているようなもの」と批判したことから瞬く間に情報が拡散。このキャンペーンや表現の自由などに対する反対派と賛成派の意見が対立している状況となりました。

「公共の場にふさわしくない」の声

 補足すると、このイラストは献血をしてもらうために公共空間に貼りだすポスターとして新たに書き下ろされたものではありません。日赤が実施しているプレゼントキャンペーン内で献血に協力した人がノベルティとしてもらえるクリアファイルに描かれたイラストで、同漫画第3巻の表紙がそのまま使われた形となっています。

 これまでも幾度となく、男女のあらゆる性差に関する事象を扱った広告ポスターや企業CMが批判や炎上を繰り返していることは多くの人が知っていることでしょう。

 今回の件についてツイッター等で批判意見を見ても、例によってイラスト自体が明らかに“性的”であることと、そうした“性的”極まりないイラストが日赤という社会性が求められる公共機関によってコラボされたこと、そしていわゆる“萌え絵”によく見られるとされる、女性や女性の体そのものを“物扱い”しているかのような表現への反対意見が数多く出ました。

 一方で、「キャンペーンのターゲットがアニメを好む若い男性層なのだから問題ないだろう」「巨乳の女性を“性的で公共の場にふさわしくない”と言うのは、胸の大きな女性の肉体自体を否定しているのでは?」「表現の自由だ」といった指摘も多く見られました。

性的なメッセージとは

 筆者は、宇崎ちゃんイラストに反対する人たちの気持ちがわかります。過度な巨乳や情欲を催しているような表情が多い萌え絵を見ると、まるですべての女性の身体が男性の性的消費にのみ利用されている感覚になるのでしょう。別に自分の快不快だけで言っているのではなく、青少年への悪影響や社会全体への女性差別的なメッセージを不安視しているのだと思います。

 話は変わりますが、新宿に「P」というビルがあります。筆者は上京して初めてPを見たときにドキっとしました。なぜならPとは筆者の地元・山形で女性器を表す言葉だったからです。筆者にとって、Pは明らかに性的なもの。性的どころかそのまんまなため、Pと堂々と描かれた壁面は公共空間にふさわしくありません、少なくとも筆者や山形出身者にとっては。

 こういった名前を冠したビルを目にすることで、山形から上京した青少年が変な想像をしたり、「女性器をモノ扱いする」という女性差別に繋がったりするかもしれません。筆者は「Pをぶっ壊す!」と言わなくてはいけません。だって宇崎ちゃんなんかより、明らかに性的なメッセージを発信しているのですから。

すべての女性はどんな格好をしてもいい

 今回、宇崎ちゃんの件で筆者が改めて感じたのは、とある対象を「性的だ」と捉えるかどうかは個人の自由であり、他人が規定できないということ。そして、性的かどうかのハッキリとした境界線は、非常に曖昧であること。宇崎ちゃんが服を着ていようが脱いでいようが乳袋(漫画やアニメなどで、女性の胸部を強調するように貼り付いている衣服)があろうがなかろうが、誰かにとっては性的だけど誰かにとっては性的ではないとしか言いようがありません。

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どんな格好をしようが、それは女性の自由だ(画像:写真AC)

 そして女性が誰かに「性的だ」と思われたとしても、その時点では何の女性差別でもないということ。例えば筆者のことを誰か男性が「性的だ」「エロい」と感じたところで、筆者はなんの人権も侵されてはいません。その先に不当な扱いや攻撃などをされなければいいのです。「性的だ」と勝手に受け取られことは自由であり、倫理的に何も悪いことではないでしょう。

 宇崎ちゃんをはじめとする“萌え絵”を「嫌いだ」と感じることと同様に、誰かが何かを「エロい」「気持ち悪い」「好きだ」「嫌いだ」と感じることは悪いことではありません。その先にある対象を「ぶっ壊す」行為が問題なのです。それは、とある対象を「性的だ」と受け取った先にその人に痴漢などを行うことであり、日赤に抗議してイラストを取り下げさせることでもあります。

 女性が公共の場でどんな格好でいようとどんな表現をしていようと、痴漢を行う人間が絶対に悪いという事実は変わりません。それなのに、宇崎ちゃんがどんな格好でどんな表現をしていようと「公共の場にふさわしくない」と言うのは矛盾しています。

 宇崎ちゃんイラストが批判されている光景は、かつて胸が大きかった筆者が必死で胸の目立たない服装をしていたことの答えのような気がしてなりません。

「男性から『性的だ』と思われようが胸が目立とうが、女性はどんな格好をしていてもいい」と言ってもらえる社会じゃなかったから、筆者はとにかく胸を隠して生きていたのかもしれません。

 だから筆者は次世代の女の子たちに言いたいのです。男性から「性的だ」と思われようが胸が目立とうが、すべての女性はどんな格好をしてもいい。それはアニメだろうと実写だろうと関係なく、すべての女性の身体表現を可とするのが、女性を守るための正しいメッセージではないでしょうか。

https://urbanlife.tokyo/post/22892/

事前の構えの大事さ

野球の守備とか、バレーボールのサーブレシーブとか、あれって、どっちにボールが飛んできても動けるように、あらかじめ構えておいて、ボールが来るのを待ちますよね。

会話でも、同じことが言えると思うんですよ。

どんな質問が飛んできても、どんな不備や間違いを指摘されても、受け答えできるように、あらかじめ構えておく必要があります。

「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか「わかりません」とか、その手の言葉がスッと繰り出せるのは、それが言える構えが、あらかじめできているからだと思うんですよ。

それを忘れてると、とっさに動けなくて棒立ちになったりするんではないですかね。

「まさか打ち返してくるとは思わなかった」なんて言い訳は、するだけ恥なんですけど、そこで開き直って恥を上塗りしても救われません。せめてその場で立ち止まって、そして立て直せばいいんですよ。

「ありがとう。」

「ごめんね。」

「わかんないから考えてみるよ。」

これをここ一番で出せるようになるには…やっぱ普段からの素振りですかね。