概念の受容、概念の導入
ここで取り上げた翰林大学校では、こういう研究プロジェクトが進行中だということです。
19世紀末から20世紀初頭あたりをターゲットにした概念史研究はそれはそれで興味深いのですけど、それと20世紀後半における人文科学・社会科学概念の欧米からの研究概念や手法、パラダイム導入の潮流とを結びつけるとどのようなことが見えてくるのか、そのあたりに興味があります。
早い話、私が興味を持っているのは、アメリカの大学でPh.Dを取得して大学教授のポストにおさまっている人がこれだけあふれかえっている韓国の、その学界状況への理解如何なわけです。
記事入力 : 2009/10/04 09:03:04
「概念史研究」でひもとく韓国の近代化
西欧「民主主義・国家」などの概念をどのように受け入れたのか19世紀後半以降、韓中日の西欧学問受容の過程はそれぞれ
韓国が自律性最も弱く
最近、韓国国内の学会で「概念史」研究が大きな人気を集めている。同研究は、「国家」「民主主義」「政治」といった西欧の人文学・社会科学の概念が19世紀後半以降、韓国をはじめ東アジアにどのように伝播したのか、また、衝突と争いを経ながらどのように受け入れられたのかを追究する試みだ。
概念史研究を本格的に進めているのは、翰林大学翰林科学院(金容九〈キム・ヨング〉院長)だ。2007年から韓国研究財団の支援を受け、10年にわたる人文韓国(HK)プロジェクトとして、「東アジア基本概念の相互疎通」事業を推進している。翰林科学院は今年上半期に、概念史叢書として『万国公法』『国家・主権』『憲法』の3冊を出版、現在『市民』『民族』の出版に向け準備している。翰林科学院は子どもや青年、幸福、恋愛、教養などの日常概念の変遷史も含め、80冊余りの概念史叢書を出版する計画だ。
また、ソウル大の河英善(ハ・ヨンソン)外交学科教授を中心とする「伝播研究」会は、このほど個人、主権、権力、富国強兵、民主主義、経済、国民などの概念がどのように韓国に受け入れられたのかを説明した著書『近代韓国の社会科学概念形成史』を出版した。こうした中、25日には翰林科学院が『東アジアの概念の接合と横断』というテーマで国際学術会議を主催し、概念史研究の現況と限界を知る機会となった。
■韓国、西欧の概念との対立で最もぜい弱
「韓国の概念史研究と展望」を発表した宋承哲(ソン・スンチョル)翰林大教授は、「東アジアと西欧の近代化モデルにおける最大の違いは、西欧の場合、未来の姿が確定していない状態で対案を出し概念が創出されたのに対し、東アジアは対案が事実上すでに与えられていた、という点で限界があった」と指摘した。東アジアでも日本は、19世紀後半、政治的にかなりの自律性を維持しながら多くの新造語を作り出した、と同教授は指摘。中国は豊富な文化遺産の宗主国であり、ある程度の自律性を持って概念と戦ったが、韓国はすぐに植民地となったことで、西欧の近代概念と向き合うことにおいては最もぜい弱だった、と説明した。
■「概念が政治的基準として作用」
「韓国概念史研究の課題と問題点」を発表したソウル大のパク・サンソプ教授は、「(自由)民主主義だけを見るとき、韓国での重要な政治学・社会学の概念は現実の説明のため、自身の姿を理解するために開発した分析道具としての機能よりも、政治的行動に関する道徳的評価のために使われる政治的基準の性格が強い」と述べた。こうした傾向は政治や社会が動く現実に対する理解を相対的に軽視することになり、正誤を決める原理的論争に発展するというわけだ。
■近代文献のデータベース化
台湾国立政治大の金観濤教授は、1830−1920年代の中国の主要文献や新聞、雑誌、宣教師の著書1億2000万字相当をデータベース化した。このデータベースを活用して、中国現代思想の起源をたどった著書が『観念史研究』だ。
金教授は「中国社会の近代転換の歴史的段階」と題する発表で、中国が近代的価値を受け入れる過程を3段階に分けて説明した。1840年から94年までは伝統儒学を通じ、西洋の近代的観念を選りすぐり受け入れた。日露戦争以後1914年までは、西洋の近代的概念をありのまま受け入れた。そして1915年の新文化運動以降は、西洋の概念を改めて再構成し、中国式の概念を作り上げたというわけだ。
キム・ギチョル記者