新世界百貨店と「80周年」
妙な書き出しの上に妙に理屈っぽくてわかりにくいですが、確かに曖昧といえば曖昧な話ではあります。記者の言いたいことはたぶん、記事のサブタイトルに集約されているんでしょう。
この手の議論を原理主義的に適用していくと、例えば延世大学校の「125周年」も、125年前に創設されたのは「病院」であって「学校」ではないですし*1、成均館大学校の「600周年」というのもいかがなものかと。
「ソウル大学校」と「ソウル大学校法科大学」との曖昧な関係も、前に言及したことがあります。
延世大学校・百周年紀念館*2
高麗大学校・百周年紀念館*3
成均館大学校・六百周年紀念館*4
ソウル大学校・近代法学教育百周年紀念館*5
まあ、それぞれに立場があるとは思いますけど、あんまり野暮なことは言いっこなしですよ。
記事入力 : 2010/07/04 10:29:04
新世界デパートが80周年!?(上)
三越京城支店80周年を記念する格好に
ソウル市中区忠武路にある新世界デパート本店の新館と本館(右側)。本館は三越京城支店だった。/写真=鄭晟鎮(チョン・ソンジン)記者朴建鉉(パク・コンヒョン)新世界デパート代表は、「論争の余地があるため、“創立80周年”という表現の代わりに“開店80周年”を使っている」と説明した。東亜日報5日1日付既報。
「新世界デパートはいつ開店したのか」がなぜ問題になっているのだろうか。「80周年は、俗っぽい言い方をすればオーバー」という皮肉が業界に広まっているためだ。新世界は今年初めから創立80周年を強調してきた。音楽会でも、セールでも、80周年という言葉を使用した。
しかし、よく考えてみると、この「80周年」はかなりあいまいだ。通常、ブランドや会社、学校などが何周年という言葉を使うためには、複数の基準のうち一つは満たしていなければならない。一つは、その名称やブランドが維持される場合だ。
A大学が学校の名前を変えず、歴史が100年以上あるならば、途中でオーナーが変わったとしても、「開校100周年」という言葉を使う。人が維持される場合も多い。ある人物とその子孫が100年間企業を所有し運営したとすれば、社名が変わったとしても、「創業100周年」を使う。
この中に新世界が該当するものがあるとすれば、80周年は正しい。しかし、該当するものは一つもない。80年前の1930年、三越百貨店は現在の新世界デパート本店が位置する場所に、三越京城支店を開店した。
これに先立って、三越は1906年から、日本人の居住地だったチンゴゲ(忠武路付近)で三越呉服店を運営していた。現在の新世界デパート本店付近にあったといわれている。
記事入力 : 2010/07/04 10:29:10
新世界デパートが80周年!?(下)三越京城支店の建物は現在も、新世界デパート本店の本館として利用されている。80年という歳月のため、その存在自体が史料といえる。世界初のデパートは、1852年フランス・パリにできたボン・マルシェ百貨店で、日本初のデパートは1904年に建てられた東京の三越百貨店だ。
韓国初のデパートはどれか、という問いの答えは、基準によって異なる。呉服店もデパートだとすれば三越だが、現代的デパートを基準とすれば、旧・美都波デパートの位置にあった丁字屋百貨店(1921年開店)となる。
ソウル特別市史編さん委員会が2007年に出版した『ソウルの市場』によると、日帝強占期、ソウルには六つのデパートがあったという。そのうち韓国人所有のデパートは二つで、残りは日本人のデパートだった。
韓国人所有の和新・東亜デパートは鍾路に、日本人所有のデパートは南大門、忠武路付近にあった。問題の三越京城支店は1945年、日本による植民地支配からの解放後、経営陣を一新した後、同和デパートとして新たに出発した。
同和デパートは政府所有になった後、韓国戦争(朝鮮戦争)時には米軍の購買部(PX)として使用されたこともあった。同和デパートは1955年、再びデパートとして営業を始めたが、1963年にサムスングループによって買収され、新世界デパートに生まれ変わった。
つまり、現在の新世界と「80周年のデパート」をつなぐものは、新世界デパート本店が位置する場所に、新世界とは関係のない、日本人所有のデパートが1930年に開店したという点だけだ。
上記の基準通りならば、丁字屋百貨店の後身、美都波デパートを買収したロッテデパートは、今年89周年を記念してもよいことになる。新世界は今、「創立」という説明はあえて使用せず、「80」という数字だけを主に使っている。
鄭晟鎮(チョン・ソンジン)記者
ちなみに、新世界デパート本店の周辺には、ウリ銀行鐘路支店や東亜日報社屋のような歴史的価値を持つ古い建物が、今もいくつかは残っています。