韓国の歴史記念事業あれこれ
特に脈絡はありませんが、表題に関わるものをいくつか。
「死六臣」というのは、朝鮮史上でも有名な存在であり、ソウル市内に記念公園もあるほどなのですが、そこに開館した記念館でどうやら揉め事が持ち上がっているようです。このゴタゴタの是非はさておき、15世紀の出来事をめぐって、今でもこれだけ生々しい論争があるわけです。
記事入力 : 2011/08/06 13:01:30
端宗忠臣歴史館、オープンからわずか20日で閉鎖朝鮮時代の忠臣をめぐり子孫が対立
【ヤン・モドゥム記者、ナム・ジス・インターン記者(ソウル大学法学科4年)】 「端宗忠臣歴史館」(ソウル市銅雀区)が今月3日、オープンからわずか20日で一時閉館する事態に追い込まれた。当初は「死六臣歴史館」という名称で開館する予定だったが、展示の範囲を拡大し、端宗(朝鮮王朝第6代国王)のため筋を通した32人の忠臣を取り上げ、歴史館の名称を変更したことが問題を招いた。もともと死六臣とは、朝鮮王朝第7代国王の世祖がクーデター(1453年の「癸酉靖難」)を起こし政権を掌握した後、前国王端宗の復位を計画して死刑に処された成三問(ソン・サムムン)、河緯地(ハ・ウィジ)、イ・ゲ、朴彭年(パク・ペンニョン)、柳誠源(ユ・ソンウォン)、兪応孚(ユ・ウンブ)ら6人のことを指す。この死六臣に加え、癸酉靖難後に工曹判書に任ぜられ「7番目の死六臣」とも呼ばれる、金文起(キム・ムンギ)を含めたのが原因だった。
7月14日のオープン前から、死六臣の子孫たちが反発し、これに金文起の子孫たちが対抗、騒動に発展した。死六臣守護会は今月1日、銅雀区庁を訪れ、「歴史館の名称を死六臣歴史館に戻し、これまでの死六臣6人のみを展示するように」と要求して立てこもった。2日後の今月3日には、金文起の子孫たちが区庁を訪れ、「死六臣だけを取り上げるべきで、その死六臣には金文起が必ず含まれていなければならない」という陳情書を提出した。
死六臣をめぐる論争は、「1456年(世祖2年)に起こった端宗復位の謀議に加担し、発覚後に処刑された6人の忠臣は、これまで知られていた人物とは異なる」という主張がなされたのを機に始まった。
金文起の子孫に当たる金寧金氏の一族は、1970年代に「正史の実録には、兪応孚ではなく金文起が端宗復位運動を繰り広げた人物として記録されている」と主張した。その後77年、国史編さん委員会が「実録を分析した結果、金文起ら6人が、世祖代に六臣とみなされていたものと判定し、金文起を顕彰する」と発表した。78年には、死六臣の墓地に金文起の仮墓も追加され、現在、銅雀区鷺梁津洞の死六臣墓には7つの墓がある。
これに対し、死六臣守護会が「500年間、死六臣は兪応孚であって、金文起ではなかった」と反発し、論争が続いている。死六臣守護会の関係者は「77年に、当時の金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長が、自分の祖先である金文起を強引に死六臣の中に入れた」と主張した。
国史編さん委員会の関係者は「現在、国史編さん委員会が認定している死六臣から、金文起先生は除外されている」と語った。
さらに別の関係者は「死六臣をめぐる論争は、長期間続いているもので、一挙に解決する問題ではない」と付け加えた。なお、銅雀区庁側は「子孫が互いに合意に至るまでは、歴史館を無期限で閉鎖する」と語った。
シャッターを下ろし固く門を閉ざしている「端宗忠臣歴史館」(ソウル市銅雀区鷺梁津洞)。/写真=キム・ナジン・インターン記者(漢陽大学メディアコミュニケーション学科4年)
次に、朴正熙大統領関係の記念施設と言えば、亀尾市にある生家が挙げられますが、小学校の教師時代に暮らした聞慶でも、当時の住居を中心とした記念公園を整備しようという話が持ち上がっているようです。
記事入力 : 2011/08/08 11:06:51
朴正煕元大統領の教師時代の下宿、公園として整備へ【大邱=崔洙豪(チェ・スホ)記者】 故・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領が小学校の教師だった当時に居住していた、慶尚北道聞慶市の下宿「青雲閣」が公園として整備される見通しとなった。
聞慶市は今年末までに、13億ウォン(約9500万円)の費用を投じて青雲閣の整備事業を実施し、焼香所や管理事務所、トイレなどを備えた韓屋(韓国伝統の家屋)を建設するとともに、公演や駐車場を整備する、と発表した。公園には、朴元大統領の功績や日常生活などに関する展示施設を設け、教育の場や住民たちの休息の場として活用していく方針だ。
青雲閣は1928年、約1000平方メートルの土地に建てられたわらぶき屋根の家屋で、朴元大統領が1937年から40年まで、聞慶西部シムサン小学校(現・聞慶小学校)の教師として勤務していた時代に居住した下宿だ。現在、青雲閣には朴元大統領と陸英修(ユク・ヨンス)夫人の遺影、教師時代の写真、机やかばんなどの遺品を展示しており、朴元大統領の命日に当たる毎年10月26日には、教え子や市民たちが集まって追悼式を開いている。
박정희 전 대통령 꿈의 산실 '청운각' 새롭게 단장
기사등록 일시 [2011-08-05 11:20:45]
【문경=뉴시스】노창길 기자 = 5일 경북 문경시는 고 박정희 대통령이 1937년4월부터 1940년 3월까지 문경초등학교 교사로 재직시절 거처하던 하숙집인 청운각 주변정비사업을 오는 12월말 준공예정으로 착공한다고 밝혔다. (사진=문경시 제공) 2011-08-05【문경=뉴시스】노창길 기자 = 경북 문경시는 고 박정희 대통령이 1937년4월부터 1940년 3월까지 문경초등학교 교사로 재직시절 거처하던 하숙집인 청운각 주변정비사업을 오는 12월말 준공예정으로 착공한다고 5일 밝혔다.
청운각 주변정비사업은 문경시 문경읍 상리 461-2번지 일원에 13억원을 들여 분향소, 관리사, 화장실을 전통한옥으로 건축하며 공원 및 주차장을 조성하게 된다.
공원에는 박대통령의 공적과 일상생활상이 담긴 영상스크린 등을 설치해 청소년들에게 역사의 산교육장으로, 지역주민들에게는 쉼터로 활용된다.
청운각은 박정희 전 대통령께서 1937년 대구사범학교를 졸업하고 그해 4월 문경초등학교 교사로 부임해 2년 9개월간 거처했던 곳이다
시 관계자는 "청운각은 교사에서 군인으로 그로 인한 후일의 대통령으로 숙명적 가난을 물리치고 국력신장의 기틀을 마련하고 비운의 생을 마치게 된 근원적인 장소로 시는 이곳을 성역화하기 위해 노력을 기울이고 있다."고 말했다.
http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20110805_0008894201&cID=10301&pID=10300
最後に、こちらでも触れたことのある強制動員歴史記念館の起工式のニュース。済州道や忠清南道・慶尚南道・京畿道などとの間で熾烈な誘致合戦があったというこの記念館、立地を見ると、釜山市立博物館や文化会館・UN墓地などと連携して、釜山市内における歴史・文化ゾーンの一角を占めるということになりそうです。
「日帝強制動員歴史記念館」、11日に釜山で起工式
2011/08/04 10:20 KST【釜山聯合ニュース】日本植民地時代に強制連行された被害者らの悲劇や労苦の歴史を伝える「日帝強制動員歴史記念館」が11日、釜山南区大淵洞の堂谷近隣公園で起工式を行い、本格的な工事に入る。
550億ウォン(約40億円)が投じられる歴史記念館は、7万5465平方メートル敷地に地下4階、地上3階規模で2012年12月に完工される予定。展示、記録管理、教育・研究施設などが入る。
記念館が釜山に設立されるのは、日本植民地時代に強制連行された被害者らが関釜連絡船で日本に向かった歴史の現場であることが考慮された。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/08/04/0200000000AJP20110804000700882.HTML
'일제 강제동원 역사기념관' 11일 부산서 기공식
일제 강제동원 역사기념관 조감도
(부산=연합뉴스) 부산 남구 당곡공원에 건립되는 '일제 강제동원 역사기념관' 조감도. 이 기념관은 오는 11일 오후 기공식을 하고 본격 공사에 들어가 2012년 12월 준공될 예정이다.<< 부산시 제공 >> 2011.8.4.중국에 '짝퉁 이케아' 매장도 성업중 미국 카운티 의원, 누드사진 논란에 사퇴 철로에 누워 질병치료?…印尼당국 골머리 에드워드 케네디, 평생 신변위협 받아
(부산=연합뉴스) 민영규 기자 = 일제의 강제동원 역사를 고발하고 희생자 유족을 위로하기 위한 '일제 강제동원 역사기념관'이 오는 11일 오후 2시 부산 남구 당곡공원에서 기공식을 하고, 본격 공사에 들어간다.
이날 기공식에는 오병주 '대일 항쟁기 강제동원 피해조사 및 국외 강제동원 희생자 등 지원위원회' 위원장, 고윤환 부산시 행정부시장, 김형오 전 국회의장, 한나라당 정몽준 전 대표, 김정권 김무성 김정훈 국회의원 등 각계 인사들이 대거 참석한다.
일제 강제동원 역사기념관은 국ㆍ시비 550억원을 들여 7만5천465㎡ 부지에 지하 4층, 지상 3층(전체 면적 1만2천62㎡) 규모로 2012년 12월 준공 예정이다.기념관에는 각종 전시실과 도서실, 멀티미디어실, 회의실, 연구실, 공연시설 등이 전시, 기록관리, 교육ㆍ연구, 편의 등 4가지 영역으로 나뉘어 들어선다.
기념관 건립은 2004년 제정된 '강제동원 피해 진상규명에 관한 특별법'의 추도공간 및 사료관 조정에 관한 규정에 따라 추진돼 부산, 충남, 제주 등이 유치경쟁을 벌였다. 2008년 9월 부산으로 입지가 확정돼 지난해 12월 말 터파기 공사가 시작됐다.
일제 강제동원 역사기념관이 부산에 건립되는 것은 일본강점기 부산항이 강제 동원자들의 출발지였고 징용, 징병, 군무원, 노무자 등 강제 동원자의 22%가량이 경상도 출신이었던 점 등이 고려된 것으로 알려졌다. <사진 있음>
일제 강제동원 역사기념관 조감도
(부산=연합뉴스) 부산 남구 당곡공원에 건립되는 '일제 강제동원 역사기념관' 조감도. 이 기념관은 오는 11일 오후 기공식을 하고 본격 공사에 들어가 2012년 12월 준공될 예정이다. << 부산시 제공 >> 2011.8.4.2011/08/04 07:35 송고
http://www.yonhapnews.co.kr/culture/2011/08/03/0906000000AKR20110803168600051.HTML