韓国の一流研究者へのインタビュー
日本語でまとまった形で、こうした人々のインタビューが掲載されることはあまりないと思うので、見れなくなる前にクリップしておきます。
各氏の著作で、日本でも手に入るものとしては、例えばこちらなどをご参照ください。
- 作者: 鄭在貞
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2008/11/21
- メディア: 単行本
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- 作者: 朴〓@45F6@煕
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2000/02
- メディア: 新書
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記事中に出ているもの・上と重複しているものを含めて、韓国での各氏の著作について韓国の教保文庫サイトからリンクを貼ると、こんなところでしょうか。
[인터넷교보문고] 정재호『중국의 부상과 한반도의 미래』
[인터넷교보문고] 박철희『자민당 정권과 전후 체제의 변용』
<インタビュー>韓日関係史の大家 鄭在貞さん=日本語で歴史講座も
2011/12/26 15:27 KST【ソウル聯合ニュース】「過去の問題にとらわれている時ではありません。韓国と日本がともにできることはたくさんある。手を携えてアジアや世界のために」――。韓国を代表する民間シンクタンク、東北亜歴史財団の理事長を務める鄭在貞(チョン・ジェジョン)さん(60)は力をこめる。東京大学大学院で学んだ日本通の歴史学者は、専門の近代韓日関係史を含めて著書も多数。歴史を客観視し、現在、未来を見る独自の史観は多くの日本人からも支持されている。
「韓国と日本―歴史教育の思想」(すずさわ書店)、 「帝国日本の植民地支配と韓国鉄道」(明石書店)などの著書や韓日共通の歴史教材、両国政府の主導で設置された韓日歴史共同研究委員会のメンバーとしてよく知られているが、研究室にこもるタイプの学者ではない。活動の一つに韓国にいる日本人駐在員向けの歴史講座がある。
鄭在貞さん=(聯合ニュース)ソウル市立大学の教授だった2004年、市民向けの生涯学習講座をしていた時に、韓国で暮らす日本企業の駐在員らが集まるソウルジャパンクラブ(SJC)と出会った。 感じたのは、日本企業の駐在員は、朝鮮半島の歴史や日本との関係史に非常に興味を持っているが、言葉の壁もあり学ぶすべがないということだった。「そこで、こちらから提言したんです。日本語の歴史講座をしましょうかと」
講座は、古代から始まる朝鮮半島の王朝時代や朝鮮通信使、近現代の関係史と多岐にわたる。フィールドワークも積極的に行った。ソウル駅や江華島、旧日本軍の航空基地があった全羅北道・群山など韓国内はもちろん、山口県下関市や百済王伝説が今も残る宮崎県にもSJC会員ら十数人とともに訪問した。
日本郵船の駐在員として2005年から約3年間ソウルに駐在した小川裕司さんは、「鄭先生は歴史的事実をできるだけ客観的に見ようとする基本姿勢を貫かれたと思います。また歴史の現場を見ることの重要性にも触れられ、歴史巡見と称していろいろな場所に連れて行ってもらいました」と思い出を振り返る。
2009年に東北亜歴史財団の理事長に就任。重責に就いた後も、2010年夏まで講座を続けた。「韓国と日本との間には多くの制約がありますが、それを乗り越えるためには、学者だけではなく一般の人たちが相互に関係した歴史を知ることが大切」との持論からだ。講座では、歴史上の人物や史跡の評価が当時から現在までどう変遷してきたのか、将来どんな影響があるのかという点も解説した。
◇慰安婦問題乗り越え
歴史問題や領土問題という課題を背負いながらも、韓日両国は確実に関係を深めている。8月に韓国の憲法裁判所が、旧日本軍の従軍慰安婦賠償権問題などを韓国政府が放置しているのは違憲としたことで再燃した慰安婦問題についても、「日本は大所高所からものを見て対応してほしい。両国が対話できる余地はあるはず」と話す。
折しも、李明博(イ・ミョンバク)大統領が日本との首脳会談で韓国の元首として初めて慰安婦問題を取り上げた翌日、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去が報じられた。「これから朝鮮半島を含めた東アジア情勢に大きな影響が出てくるでしょう。こんな時だからこそ、両国は過去にしばられないで手を取り合う必要があるんです」と語る。
同財団の理念は、和解や国を超えた歴史認識の創造・共有、地域や世界の平和・繁栄とスケールが大きい。鄭さんは理念実現のため、先月はロシア、今月は米国へと出張するなど奔走する。ロシアでは日本や中国、北朝鮮の学者らと高句麗、渤海などの古代王朝について共同シンポジウムを行い、米国ではハーバード大で東アジアの歴史について講演した。
韓日関係については「長い間、お互いに影響を与え合ってきました」と、その重要性を説く。「両国が力を合わせれば、人権や自由、環境、人類の平和など多くの面で国際社会に貢献できます」と韓日が不可欠なパートナーである点を強調する。再開の要望が強い日本語の歴史講座についても、来春からの再スタートを検討している。(聞き手=張智彦)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/newsite/2011/12/26/1114000000AJP20111226002300882.HTML
記事入力 : 2012/01/08 09:22
ソウル大教授が主張する韓中・韓日関係の障害とは「米中間で明敏外交を展開すべき」
「日本で失敗した“無料シリーズ”、なぜまねるのか」チョン・ジェホ教授「中国は韓国を見下し始めた」
韓中関係は韓米関係と似通っていくだろう…状況に応じた臨機応変な対応ではなく、事案ごとに一貫性のある記録の外交をパク・チョルヒ教授「日本は今や反面教師」
韓国は戦後の日本を知らず、日本は戦前の日本を知らない…韓国が日本の後を追えば、はるかに大きな危険が「韓中関係は、最初から過ちを抱え込んでいた」(チョン・ジェホ教授)。「日本の政界が失敗した道を、韓国の政界が後追いしようとしている」(パク・チョルヒ教授)。韓国屈指の中国・日本の専門家2人による診断は厳しいものだった。ソウル大学のチョン・ジェホ教授(政治外交学部)はソウル大学出版部から『中国の浮上と韓半島(朝鮮半島)の未来』を、同大のパク・チョルヒ教授(国際大学院)は『自民党政権と戦後体制の変容』と題する本を出版し、韓国外交の乱れと日本に対する理解の低さを指摘した。2人の著書は、いずれも20年余りにわたる研究の総決算で500ページ近くあり、内容も深い。昨年9月1日、2人にインタビューを行った。
−1992年に韓中国交正常化がなされた当初から、過ちを抱え込んでいたというのは?
「戦略もなしに急いだのが問題だ。4カ月間で4回の予備・本会談を行い、気の戦いで押された。当時、中国側の首席交渉代表は“最初の会談を終えてみると、思ったよりはるかに早く終わりそうだ”と語った。これは要するに、韓国側の手は読み切ったという意味だ。大統領府(青瓦台)は任期内の国交正常化、大統領の国賓待遇での訪問を目標に掲げ交渉チームをせかした。6・25戦争(朝鮮戦争)に対し、中国から遺憾の意の表明を引き出すこともできなかった。当時、韓国からきちんとした要求があったなら、習近平副主席が6・25戦争を“正しい戦争”と言及するのは困難だっただろう」
−その後の対中外交は?
「中国は国交正常化の後、しばらくは韓国を高度成長のモデルにしていた。しかし、1998年に韓国がアジア通貨危機でIMF(国際通貨基金)の管理体制に入ると、“韓国モデルを捨てよう”という声が出始め、00年の“ニンニク紛争(中国産ニンニクの輸入急増に伴い、韓国側がセーフガードを発動したところ、中国側が報復措置として韓国製携帯電話・ポリエチレンなどの輸入を中断し、貿易紛争に発展した事件)”から韓国外交を見下し始めた。そのような態度が、04年の東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)でも繰り返された。来年の清史工程で、再び領土や韓半島に対する認識が表面化するだろうが、そこで再び問題が繰り返される可能性もあり得る」
−李明博(イ・ミョンバク)政権の「戦略的協力パートナー」関係の樹立も批判したが。
「3人の大統領が、それぞれ両国関係の呼び方を変えた。“協力的パートナー”(金大中〈キム・デジュン〉政権)、“全面的協力パートナー”(盧武鉉〈ノ・ムヒョン〉政権)、“戦略的協力パートナー”(李明博政権)…。名前を変えるほどの転換点が果たしてあったのか。修辞にこだわる外交は、周辺国の冷笑を買うだけだ」
−対中外交と対になるのが対米外交だが。
「時間がたつほど、韓中関係は韓米関係と似通ってくるだろう。中国は徐々に、韓国が米国に行ってきたのと同じように、自分たちに対しても行うことを望むだろう。韓国が、米国に対し言うべきことを言える関係に向かわないのなら、中国にもそうしなければならなくなる。米中両国の要求を聞き入れる方向に向かうのか、あるいは両国どちらにも言うべきことを言える関係を目指すのか、方向を定めなければならない」
−米中等距離、あるいは二股外交は案になり得るか。
「政治的修辞ということならばともかく、果たして韓国のような国が、選択をせずに済むだろうか。哨戒艦『天安』沈没事件・延坪島砲撃事件を見ても、まさにそうだ。時間がたつほど、選択を強要される瀬戸際に追い込まれることが多くなるだろう。今からでも、事案ごとに一貫した立場を維持することが重要だ。事前に一貫した態度を示していれば、米中間で紛争が発生したとしても、不必要に関与する可能性は減る。明敏外交だ。状況に応じて臨機応変な対応を行うのではなく、事案ごとに一貫性のある記録の外交を展開しなければならない」
−韓国外交に決定的なのは米中関係だと指摘した。先の見込みは?
「あまり楽観的ではない。米国は単独行動主義のDNAと例外主義という哲学的基礎に基づき、200年を生きてきた。それも超大国として。中国には、中華主義の遺伝子に加え、帝国を経営した手腕がある。中国は容易にはトップから降りてこない最高経営責任者(CEO)だと思えばいい。中国が総合的な国力で米国と並んだという判断に至れば、自分の土俵で勝負しようとするだろう。そうなった時、米中間で紛争が起きる可能性は十分にある。従って韓国は、あらかじめ懸案ごとに立場を整える必要がある」
−韓国はあまりにも日本を知らなすぎると主張したが。
「韓国は戦後の日本を知らず、日本は戦前の日本を知らない。韓国は、日本をあまりにも情緒的に理解している。中国が浮上している中で相互についての理解があまりにも低い状況が続けば、選択肢を狭める結果になる」
−戦後の日本政治を簡単に整理すると。
「保守の自民党が、革新勢力との相互作用の中で政局を主導してきた。韓国は自民党を一枚岩と見る傾向が強いが、リベラル・穏健保守・急進保守の三つの流れがあった。そのバランスが崩れることで、自民党が倒れたということ。国家体制の枠組みを作ることには成功したが、極端な方向に、右方向に進もうとして審判を受けた」
−20年間で首相が14回も変わった。
「今後5年間は短命首相が続くだろう。両院制がもたらす“ねじれ国会”のせいだ。政界が民意をきちんと反映できず、中間選挙に相当する参院選で敗れ、与党は首相ばかりを変え続けている。生活政治を主張していた民主党に期待が高まったが、政権を取った鳩山元首相は対等な日米関係を主張し、ビジョンや現実的代案がないまま普天間基地の問題に取り組み失敗した。また、ばらまき公約をいくつも約束したが、昨年の参院選で審判を受けた。政治改革以降、“小さな”政治家しか存在しないことも悩みの種だ」
−日本が漂流する理由は。
「冷戦体制後、方向を定められずにいる。第一に、浮上する中国にどのように対応すべきか、明確な戦略を持てなかった。小泉首相は日米同盟の強化を通じ、中国に対抗する考えだった。韓国は中国側だと考えた。そのため韓中との対立が生じた。民主党は、アジアの信頼関係と日米同盟を並行して追求したが、事実上、日米関係の比重を下げることになった。しかし、成功を収められないまま、正しい方向を定められずにいる。経済も低迷しており、税収は上向かず、高齢化で社会福祉の負担は増え、財政赤字も拡大している」
−このまま没落するのか。
「日本には依然として三つの強みがある。日本の公共部本や政治は競争力が低いが、民間部本は競争力が高い。次に、技術と教育レベルが高い。日本はノーベル賞受賞者を14人も輩出している。源泉技術は日本の方がはるかに強い。最後に、よく訓練された国民がいる」
−日本の経験から何を学ぶべきか。
「日本は今、“反面教師”に近い。政治・経済・社会システムの面では、手本にならない。今でも韓国には、日本のテレビ番組、ワインブーム、ロースクール、東京大学(ソウル大学)法人化などが入って来ている。ひどいものでは、政界の公約もそうだ。このところ話題になっている無償給食・無償教育・無償医療は、日本の民主党の普遍的福祉論(子ども手当の支給、高校無料化、農家の戸別所得補償)、ばらまき公約をそのまま持ってきたものだ。しかし、社会の流れをよく理解して持ち込まなければならない。特に、高齢化については、日本から学ぶべきことは多い。社会福祉を展開しながら財政のバランスを保つことに、日本は失敗した。こうした日本の経験を早急に学び回避しなければならないが、どんどんまねようとしている。韓国経済は対外依存的な構造で、北朝鮮とも対立しているため、危険負担がはるかに大きい」
全炳根(チョン・ビョングン)記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/01/08/2012010800165.html