朝鮮日報の鮮于鉦記者と言えば、お父さんはこの人だったと思います。
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南北統一をめぐる韓国内のジェネレーションの問題・統一費用と生活保守の問題を率直かつ誠実に語った、さすがの文章です。韓国語原文と英訳記事のリンクと併せて、後学のためにクリップしておきましょう。
記事入力 : 2012/01/29 08:25
【コラム】韓国がまだ統一を望んでいるなら26年前に亡くなった父親の故郷は、北朝鮮の平安北道定州市だった。生前は「多くの偉人を輩出した、水がきれいな所」と、故郷に対する誇りを語ることもあった。失郷民(6・25戦争〈朝鮮戦争〉休戦までに韓国に渡った北朝鮮出身の人々)の父にとって、故郷の定州は貧しいながらも思い出の詰まった場所であり、必ず戻り、残してきた兄弟と共に眠るべき墓所でもあった。
在日朝鮮人の帰還事業で北朝鮮に帰国後、平安北道新義州市から脱北した人と3年前に会う機会があり、新義州市に近い父の故郷について尋ねてみた。すると「10年ほど前、新義州に向かう定州の丘で、数メートルおきに餓死した人の死体を見た」との答えが返ってきた。それが全部だった。父の故郷は暴政と飢えで疲弊した北朝鮮の一部にすぎず、父が生涯抱いていた故郷の面影は存在しなかった。
9年前、父の故郷の後輩が北朝鮮を訪れた。その後輩は、金大中(キム・デジュン)政権の太陽政策を支持する熱心なキリスト教徒だった。その人が貧しい故郷に落胆する姿を見たのは、北朝鮮から戻った翌日のことだった。「北朝鮮の大人の身長は韓国の中学生よりも低かった」と嘆き「北朝鮮の同胞のことを考えると、制限的に爆撃を加えてでも、一日も早く統一することが正しいのではないか」「100万人のキリスト教徒を送り込み、彼らを宗教の世界に引き入れることができたら、混乱を防げるのではないか」などと口にした。思わず口をついた愚痴だったのかもしれない。その後、その人の政治観が変わったという話は聞かないが、大切にしていた故郷のイメージが崩れ去ったのは明らかだ。そのとき思った。「死ぬまで故郷によいイメージを抱いてこれた父の方が、むしろ幸せだったかもしれない」と。
そんな親の故郷への思いを受け継いでいる失郷民2世はどれほどいるだろうか。正直なところ、父の故郷に対する私のイメージは、脱北者たちが語ったものとさほど変わらない。父は故郷に残した父親や兄弟を生涯ずっと気にかけていたが、私は南北統一後に突然自宅を訪ねてくるかもしれない見知らぬ北朝鮮の親戚を重荷に感じる。父親は故郷を奪った共産主義を憎んでいるだけに、故郷を汚染する韓国の賎民資本主義を懸念したが、私は北朝鮮の同胞が資本主義の底辺を占めるであろうわが故郷、ソウルの方がもっと心配だ。父は韓国で築いた財産を全て故郷のために使っても構わないと言っていたが、私にはそんな覚悟はない。そんな父と比べると、私は利己的で卑怯な人間のはずだ。
私たちは統一を語るとき、まず費用の問題を口にする。北朝鮮政権が崩壊すればサムスンの株価が半減すると騒ぎ、北朝鮮にいる2300万人の同胞を養うには、韓国経済がさらに成長する必要があると指摘する。20代の青年が突然指導者になったとしても、100万人の同胞がさらに餓死したとしても、共存のためには北朝鮮の現実を認めなければならないと主張する。内容は違っていても言いたいことはただ一つ、「統一はまだ無理」ということだ。本当にそうだろうか。あるいは、私の気持ちと同じ利己心と卑怯さが韓国社会の底辺にはびこっているのだろうか。
南北統一は、統一を望んでいた父の時代に実現すべきだったと思う。たとえ国は今より貧しかったとしても、自分の所有物を惜しみなく差し出そうとする人が今よりもはるかに多かったためだ。いかに大金を稼いだとしても、統一よりサムスン電子の株価を心配する社会ならば、統一を成し遂げることはできない。時がたつにつれ、そうした利己心はますます大きくなるだろう。実際には、北朝鮮が変わらないのではなく、韓国が変わらないために統一が成し遂げられないのかもしれない。他人をあれこれ言うのではなく、まずは自分から変わろうという姿勢を見せることが大切だと思う。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)産業部次長
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/01/29/2012012900135.html