【ソウルの風景】ちょっと迷走気味?戦争記念館
こちらの続きになります。
【ソウルの風景】独立門・西大門刑務所歴史館・毋岳洞獄バラジ通り - 大塚愛と死の哲学
地下鉄3号線沿線でお昼を、ということで筆洞麺屋で平壌冷麺と餃子をいただき、腹ごなしに東国大学校のキャンパスを散策した後、向かったのは地下鉄4号線・三角地駅。
無駄に広い駅スペースを使って、巡回写真展をやってました。2月中に終わる予定だったのが、好評だったのか、3月まで期間が延長されていました。
ま、それはそれとして、戦争記念館です。
広場のところに何かできてますね。
相当に立派なこれらの国連軍参戦国の国旗掲揚台、かつて全羅北道と組んでプロ野球第10球団の創設をKTと争った富栄グループによる寄贈なんだそうです。
で、展示の方を見て回ることにします。毎回いろいろと変化があって飽きの来ない戦争記念館なのですが、今回もやはりいろいろ変わっています。
百済・階伯将軍の超棒読み日本語ホログラムや、迫力満点だった李舜臣将軍の海戦ジオラマがなくなっていたというのはたいへん残念な変化だったのですが、それは個人的趣味の問題です。
今回のいちばんの目的は、中国関連の展示を確認することでした。
朝鮮戦争時の毛沢東の扱いについては、特に展示に変化はありませんね。
そして今回いちばん見たかったのはこちら。新設された「中国軍遺骸送還」の展示コーナー。
戦争記念館に「中国軍遺骨返還」に関する展示室がオープン - 大塚愛と死の哲学
うーん、なるほど。正規の展示室ではなく、外側の通路に特設したわけですね。特別扱いといえば聞こえはいいかもしれませんが、全体の流れからすると浮き上がっている印象があります。なーんか、微妙な感じやなあ。
その他のところでは、PKOあたりの展示は一新されてましたけど、南ベトナム解放戦線を「ベトコン」呼ばわりして恥じないベトナム戦争の展示はそのままでした。表面的ないろいろな変化は認められるにしても、このへんの歴史観、言いかえれば韓国軍の公式見解は従来より動いていません。
それはまあ、そういうものと言えばそういうものなので、仕方ありません。ただ、ちょっと心配なのは、展示の更新の仕方や新たな展示装置の導入などの点に、今まであまり見られなかった問題点が見られたことです。
例えば、大型液晶モニターを導入しながら、流れている映像がアナログ時代の粗々なものだったり(ひどいのでは画像が乱れて途中で止まってしまうものもありました)、タッチパネルの言語選択場面では韓英中日の4か国語を選ばせながら、その先では韓英の2か国語しか用意されていないとか、いささか首をかしげたくなる展示が一つや二つではなく、そこここにありました。
で、結果としては、更新時期やスタイルがバラバラとなった展示(室)と展示(室)との間のつながりがわかりにくくなってしまって、作り手が伝えたいことがよく伝わらないものになりつつあるような…。
これはたぶん、担当者の仕事が雑だとかいうことよりも、予算の問題だと思われます。映像のデジタル化とか、展示の多言語化なんていうのは、お金さえかければできないことではないはずです。つまりは、表面を飾る金はあっても、中身を充実させる金はない、そういう状況に現場はあるのではないでしょうかね。
管見の限りではありますが、これまで、韓国内では最も頻繁に、充実した展示内容の更新をしてきた博物館の一つだと思われる戦争記念館にも、そういう時代がやってきましたか…。
今のところは印象論に過ぎませんけど、李明博政権に比べると、朴槿恵政権はこうした国家報勲関係に対してあまり熱心ではないのではないか、と思わされることは、しばしばあります。なので、この戦争記念館の状況も「ああ、やっぱり」と思ってしまいました。
屋外展示の中で最も印象を残す第2延坪海戦のチャムスリ号(ただしレプリカ)も、ここに置かれたのは2010年、李明博政権期でしたね。
第2延坪海戦チャムスリ号模型展示館、竜山戦争記念館に上陸
2010年06月04日08時33分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]2002年6月29日、第2延坪海戦で北朝鮮艦艇の奇襲攻撃で沈没した高速艇「チャムスリ357号」に倣って作った「安保展示館」の開館式が3日、ソウル竜山(ヨンサン)戦争記念館で行われた。この日の開館式には金泰栄(キム・テヨン)国防部長官ら軍の関係者と、戦死した乗務補助員遺族らが出席した。戦争記念館を訪れた訪問者たちが「チャムスリ-357号艇安保展示館」を観覧している。
今後もまた、時々の状況の変化を受けて、戦争記念館は変化を続けると思います。引き続き、追いかけていくとします。