前回の続きになります。
blue-black-osaka.hatenablog.com
東義大学校と伽倻共同墓地との位置関係は、こんな感じになります。孝民野球場から、私の体感で15分くらいでした。そんなに大した距離ではありません。
まず見えてくるのは、こんな感じの光景です。
鶴章共同墓地は全貌が見えないくらいに広大でしたが、ここは見渡せる範囲に収まっているようです。九徳共同墓地と比べてもだいぶこじんまりとしています。
この監視小屋もだいぶ目になじんできました。ただこれ、ここまでずっと共同墓地のためのものかと思ってましたが、よく見ると「山火事監視哨(산불감시초소)」と書いてありますね…。
山林を切り開いたと思われる墓域には、けっこうな密度で土饅頭が並んでいます。墓碑はあったりなかったり。ざっと見た限りでは、他の共同墓地と同様、どのお墓もやはり植民地期のものだと思われます。
ちなみにこの墓地、ベンチなどもありますが、墓参者のものではなく、ここをルートにして通り抜ける登山者のためのものです。行きかう人やベンチで休憩している人を何人も見ましたが、お墓のことを気に留めている人は誰もいません。私以外は。
まあ、他人は他人、他所は他所ということで、気を取り直して、もう少し見て回りますよ。
刻まれている文字に墨を入れているものや、墓地番号が打たれているものもあり、秋夕の伐草(草刈り)もされていないわけではなさそうで、まったく捨て置かれているわけではありません。ただ、無縁化の進行は著しいと思われます。
鶴章ほど山奥ではないが、人里から目につくほどの麓でもない。そしてトレッキングコースに接してそこそこ人目にはつく。この条件から考えると、まあ当分はこのままでしょうねえ。新しい埋葬者が来ることもなく、代変わりしていく生者とここに眠る死者との距離がじわじわと広がっていくのではないでしょうか。