こちらの続きです。
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相撲場の向かい、拝殿からは社務所を挟む場所に、遺芳館の建物があります。
庭の奥のこの建物の中に、遺芳館の展示室があり、「英霊」の遺書を中心とした展示を見ることができます。それほど大きいわけではなく、手作り感もありますが、遺書の文字起こしを含む文字情報が中心となっているところに、ここの特徴があります。
展示室で読めるこうした文字情報は、護国神社のサイトでも(より詳細に)読むことができます。
2019年8月4日
「回天」特攻兵の遺品 県護国神社 遺芳館
県出身で唯一、回天に乗った特攻により戦死した小森一之さんの遺品=富山市磯部町の県護国神社で太平洋戦争で戦死した日本兵の遺品が展示されている県護国神社(富山市磯部町)の遺芳館。そこには特攻で命を絶たれる前に若い兵士らが書き残した遺書も並んでいる。
県出身では、六十一人が特攻に参加し、自滅したとされる。生前に残された手紙の宛先は、親族や親しかった人など、さまざま。当時の世相も伝わってくる。
東砺波郡福野町(現南砺市)出身の小森一之さんは県出身者では唯一、人間魚雷「回天」に乗り込んで攻撃した。昭和二十年七月二十八日、十九歳という若さでその命は東シナ海に散った。同僚に最後を書き記した手紙には「自分の気持ちは澄み切っています」と書かれている。自分の「魂」と語る短刀と軍刀については「どうしても父の手に届けたいと思います。よろしくお願いします」と後生の願いが託されていた。
栂野守雄宮司は「特攻隊の遺書は一番伝えたかったことが書かれていて、本音が分かると思う」と語る。
遺芳館には富山大空襲の焼け跡から見つかった遺品なども並び、毎日午前九時~午後四時に開館。神社には特攻兵六十一人を顕彰する記念碑もある。入場無料。 (向川原悠吾)
https://www.chunichi.co.jp/article/toyama/toku/isan/CK2019080402000144.html
ちなみに、遺芳館まで回ってくると、追加でいくつか石碑を見つけることができます。
では、ここはこれくらいにして、次の目的地に向かいます。