呉って、一昨年初めて訪れたんですけど、日帰りでちらっと触れた程度だったんです。でもここは、すんごく興味深い街でした。
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先週観たブラタモリの呉編、歩いた場所が写ったり、入りたいけど入れそうもない場所が見られたり、現地で不思議に思っていたことが解決したり、面白かったですね。
で、路面電車がいち早く導入されるほどに近代の呉が栄えていたことはその時に知ったのですが、その車両にこういう話があることは知りませんでした。家具の町として知られる大川と呉にそんな関係があったとは…。
広島・呉の路面電車 第1号は大川製 明治時代の写真などで確認
2021/1/26 6:04 西日本新聞 筑後版 室中 誠司
大川運輸の工場で撮られた作業員たちの写真
大川運輸が製造した呉電気鉄道の第1号電車
本間雄治さん福岡県大川市の近代史を研究しているNPO法人「大川未来塾」理事の本間雄治さん(71)が、明治時代に広島県呉市で開業した「呉電気鉄道」の路面電車の第1号電車を、大川市に当時あった「大川運輸」が製造したことを、当時の写真などで確認した。本間さんは「大川の地が、明治の近代化の一翼を担ったことを知ってほしい」と話す。
大川運輸は明治から大正期にかけて、佐賀県で企業群を形成した旧深川財閥が経営した。当時九州有数の物流拠点だった大川市の若津地区に、工場を所有していた。若津港と大阪の間には定期航路もあった。大川運輸は、大正時代に工務部門が深川造船所に、運輸部門が深川汽船に分かれ、蒸気機関車や客車を製造したり、海外航路を開拓したりして栄えた。
呉電気鉄道は1909(明治42)年、広島県内初の路面電車として開業した。本間さんは、佐賀市の深川家の関係者らから当時の写真や新聞記事を集めた。
開業を報じた当時の芸備日々新聞の記事には「車体 筑後若津大川運輸株式会社製」とあるという。木工業で栄えた大川とあって、車体は木製。台車は鉄製で、英国で作られていた。
第1号電車の写真には「呉電鉄会社御注文電車」と添えられている。工場内で撮影された工員の集合写真の法被には「大川運輸」の文字が見て取れる。同じ写真が呉市側でも保管されていたという。
本間さんは「当時、国内有数の港だった若津と、軍港として発展した呉をつなぐ歴史は大変興味深い。新たな事実の発見に向け、これからも研究を続けたい」と気持ちを新たにする。 (室中誠司)