「世帯」の実態の変化に政策的に対応する、ということ。

これ、少子化・高齢化という人口分布の移動にともなって生じている変化で、ある程度の年月をかけて着実に進行することですし、論理的にも予測可能だったことだと思うんですよ。読んでて意外だと思うところ、ほとんどありませんし。

老いてゆくアジア―繁栄の構図が変わるとき (中公新書 1914)

老いてゆくアジア―繁栄の構図が変わるとき (中公新書 1914)

超長期予測 老いるアジア―変貌する世界人口・経済地図

超長期予測 老いるアジア―変貌する世界人口・経済地図

なのに、この事態に対応する(そこでは試行錯誤の結果としての失敗も成功もあるでしょう)以前の問題として、現実の変化への「対応をためらっているうちに」、変化に対応できないまま、実態と乖離して意味のない統計や政策を続ける、ってのは…。これ見る限り、「総務省=政府無能」という結論にしかならないんではないですか?

社会保障を見直す前に、そこから見直さんとあきませんやん。

「単身・無職」世帯が最多、しぼむ4人家族 政策前提崩れる
2018/9/23 15:29 日本経済新聞 電子版

 日本の「世帯」の姿が大きく変化している。夫婦と子ども2人の家族構成は今や少数派で、もっとも多いのは単身世帯だ。さらに仕事の状況も合わせて分析すると、直近では「単身で無職」の世帯が2017年に最多になったとの調査もある。いまだ4人家族を基準にしている統計や政策は、実態との乖離(かいり)が否めない。(中村結)

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 家計の状況を映し出す統計としては、およそ70年間続いている総務省の「家計調査」がある。調査は9000世帯を「標本」として集計する。

 継続的な変化をみる統計として利用されているが、調査対象は実態と食い違っている。標本は夫婦と子ども2人の「標準世帯」を含む2人以上世帯が9割以上を占めており、単身は約750件で8%のみだ。

 一方、国勢調査をみると15年時点で最も多いのは1840万世帯の単身世帯で、全体の35%を占める。少子化で1人で生活する大学生などの数は減っている。晩婚化が進んで生涯独身の人も増加し、さらに高齢者の一人暮らしが増えているのが大きな要因だ。

 総務省も標本のズレは認識しているものの、調査の継続性や協力者の確保を考えると変更はしづらい。だが対応をためらっているうちに、単身世帯は中身もどんどん変わっていく。詳細を把握する姿勢は欠かせない。

 大和総研の是枝俊悟研究員は、世帯と仕事との関係を時系列で分析した。世帯を人数だけでなく、働いている人がいるかどうかによって分類した。すると17年は「単身・無職」が最多になっているという結果が出た。30年前には全体の7%にすぎなかったが、17年には17%まで上昇した。5世帯のうち1世帯は「働いていない人の一人暮らし」になったという。

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 家計調査では圧倒的に少数派の単身世帯が実際の社会では大きな比重を占めているなら、調査の精度に疑問符がつく。

 例えば、4~6月の家計調査で単身世帯をみると、働く女性の消費支出は月平均18万2千円(35~59歳)。一方、総務省が単身者に絞って始めたモニター調査では35~39歳が16万円、55~59歳で15万3千円だ。実態は家計調査より節約傾向が強い可能性がある。

 家計調査は国内総生産(GDP)や景気動向指数などに幅広く使われる。実態との乖離が大きいと、統計を利用する人たちが消費動向を見誤ってしまう恐れが出てくる。政策立案や企業のマーケティング活動にも影響が出かねない。

 世帯の標準を巡るギャップで、さらに深刻な影響が懸念されるのは高齢者の社会保障だ。

 厚生労働省の年金の財政検証では、働く夫と専業主婦の世帯をモデルにして年金給付水準が試算される。第一生命経済研究所星野卓也氏は「単身で収入が少ない高齢者の問題が見過ごされがちだ」と指摘する。

 単身は夫婦の世帯より年金の受取額が少ないことが多い。1人だと住居費などの負担も相対的に大きい。「必要な費用は単純にモデル世帯の半分で考えればいいわけではない」(星野氏)

 65歳以上の単身世帯では、若いころの就業期間が短いといった理由から無年金になっている人も男性で1割前後、女性で5%程度いる。みずほ情報総研藤森克彦氏は「単身・無職を少数派と考えず、家族依存型の社会保障を見直さないといけない」と話す。

 35カ国が加盟する経済協力開発機構OECD)によると、日本の単身世帯比率はOECDで10位。欧州連合(EU)の平均(30%)を上回り、25~30年には北欧やドイツと並ぶ見通しだ。日本社会で進む「単身化」の実態に即した統計を整え、有効な手を打てるか。課題先進国の対応力が問われる。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35637780R20C18A9SHA000/

【仁川の風景】2018年夏、雨の仁川家族公園・その3:新・外国人墓域

さて、また間が空きましたが、こちらの続きです。

blue-black-osaka.hatenablog.com

その記事で書き残した、「以前そこにあったはずのものがない」うちの残る一つは、これです。この「日本人墓域」が、跡形もなく消え失せているのです。

blue-black-osaka.hatenablog.com

でもまあ、少しは焦りましたが、そこまで予想外のことでもありません。実際、上の記事でも、「工事の都合次第では多少の移動はあるかもしれません」と書いています。

で、書いた通りのことになっていました。移動先はこちらです。

blue-black-osaka.hatenablog.com

ものすごい雨になり、昇華院でしばらく待ったのですが、埒が明かないので、若干小やみになった時をついて移動しました。行ってみて、この時行くんやなかったと後悔しました。再びの豪雨。

道路から入ってすぐのところに見えるのは、前回山肌をツルッ禿にしていたエリアです。門と東屋の向こう側は、全体が納骨壇になっています。

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それに隣接して、古い墓碑や祭壇が置かれたエリアが広がっています。この墓地全体の成立経緯を説明した石碑は、祭壇へのアプローチの入り口に置かれています。

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この祭壇の両側に、他所から移してきた外国人墓地もしくは墓碑が並べられています。その中に、日本人の墓碑があります。

具体的には、祭壇に向かって右手の一帯に並べられています。元あった場所とは違い、上下2段にわたって一列に並んでいます。

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もともと仁川家族公園に移された時点で墓碑しか残っていなかったようで、個人的には「墓地」として見るとやはり若干違和感があります。ただ、これはやむを得ません。

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また、これとは反対側、祭壇から左手奥にかけてのエリアは、西洋人をはじめとした外国人の墓地が移されてきています。日本人と同様に墓碑のみと思われるものもありますが、遺体・遺骨を含むより完全な形で移されたように見えるものもあります。

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念のために確認しておけば、ここは仁川広域市立の葬墓施設なのです。ですが、過去から現在・未来に至るまで、仁川市に関係する外国人の死者をカバーする外国人墓域として、この一角は運営されていくことになるようです。

청학동 외국인 묘지 66기, '외국인 특화묘역'으로 이전
CBS노컷뉴스 박종환 기자 2017-05-22 16:39

인천시는 22일 연수구 청학동에 있는 외국인 묘지를 부평구 부평동 인천가족공원내 외국인특화 묘역으로 옮기면서 각국 대사들과 함께 합동안장식을 가졌다고 밝혔다.

합동안장식에는 스페인, 러시아, 영국, 이탈리아, 미국, 프랑스, 중국 등 7개국 주한 대사관 대사 및 관계자들이 함께 했다.

이번에 합동안장식을 갖게 된 외국인들은 인천에서 의료 선교로 널리 알려진 성공회의 약대인(藥大人) 랜디스 박사를 비롯해 인천 해관의 오례당, 세창양행의 헹켈, 타운센드 상회의 월터 타운센드 등 1883년 인천항 개항 이후 국내에 체류하던 선교사, 의사, 군인, 세관원 등 인천과 인연을 맺었던 유명 인사 66명이다.

인천 외국인묘지는 1914년 3월 중구 북성동에 조성됐다가 1965년 5월 연수구 청학동으로 이전했다.

지난해 12월 인천가족공원 2단계 공원화 사업으로 국내 최초로 외국인 특화묘역이 새롭게 조성됐으며, 안천가족공원에는 중국인 묘역, 다문화 묘역, 일본인 묘역도 함께 만들어졌다.

지방정부 차원에서 외국인 장사시설을 운영하는 것은 인천시가 처음이다.

http://www.nocutnews.co.kr/news/4787931

외국인묘지로 엿본 개항기 ‘격동의 인천사’
등록 :2018-04-20 14:32 수정 :2018-04-20 19:57

인천시립박물관 ‘낯선 땅에 잠들다’ 전시

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인천 외국인 묘지. 사진 인천시 제공

개항기 이후 근현대 인천에서 활동하거나 정착했다가 숨진 외국인의 묘지를 통해 격동의 인천사를 돌아보는 전시회가 열린다.

인천시 시립박물관은 24일부터 10월28일까지 작은 전시실에서 ‘낯선 땅에 잠들다’ 전을 개최한다. 외국인묘지와 그곳에 묻힌 사람들의 흔적을 재조명함으로써 개항 시기 격동의 인천사를 들여다본다는 취지다.

이번 전시에는 지난해 인천 연수구 청학동 외국인묘지를 인천가족공원으로 이전하던 중 수습된 선교사 앨리 랜디스의 십자가 장신구가 최초로 공개된다. 또 개항기 전후, 근현대 인천에서 활동하거나 정착했다가 사망한 외국인 66명의 묘와 관련된 사진 등도 전시된다.

앞서 인천시립박물관은 이들 외국인의 삶의 궤적을 추적, 이들이 언제, 어떤 이유로 왔고, 어떤 활동을 했는지 구체적인 생애사를 수록한 인천 외국인 묘지 조사 보고서를 펴낸 바 있다.

박물관 관계자는 “근대 인천 외국인묘지의 탄생과 이전을 통해서 근대 변모하는 인천의 모습을 뒤돌아보고 타향에 묻힌 외국인들을 애도하는 자리가 되기를 바란다”고 말했다.

한편, 인천 외국인묘지는 제물포 조계지를 중심으로 일본인·중국인묘지·기타 국가별 묘지가 조성됐다. 이 묘지들은 망자를 추모하는 공간이면서 동시에 조계지 확장을 위한 수단으로도 이용됐다. 역사적인 사건들과 함께 묘지도 여러 차례 이전됐고, 현재는 인천가족공원에 있다.

이정하 기자

http://www.hani.co.kr/arti/society/area/841414.html

水田洋『社会科学の考え方』復刊の話

この年齢になってもなお、さらに議論し、修正し、出版する意欲を持ち続けていること自体が稀有なことです。どのように改訂復刊されるか、興味が出ますね。

個人的には、水田珠枝『女性解放思想の歩み』を手許に置いて何度か読み返していたことがあります。古典的名著であると思います。

女性解放思想の歩み (岩波新書)

女性解放思想の歩み (岩波新書)

社会主義思想史 (1958年) (経済学入門全書〈第5〉)

社会主義思想史 (1958年) (経済学入門全書〈第5〉)

99歳の名大名誉教授、夫婦で40年前の著作復刊へ
中部 2018/9/22 13:27

 名古屋大名誉教授の99歳の学者が、約40年前の自身の著作の復刊に取り組んでいる。「自分の研究は『社会』と言いながら、女性や家庭の問題を見てこなかった」。女性史を専門とする妻(88)と共同で内容を見直し、「女性差別は歴史的につくられたもの。社会の努力で変えることができる」と訴える考えだ。

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約40年前の著作の復刊に取り組む水田洋さん、珠枝さん夫妻(名古屋市)=共同

 夫妻は水田洋さんと珠枝さん。社会思想史が専門の洋さんは18世紀の英国の経済学者アダム・スミスの世界的研究者、名古屋経済大名誉教授の珠枝さんは女性史研究の先駆けとされる。復刊を目指すのは、洋さんの1975年の著作「社会科学の考え方」だ。

 「今の時代、女性や家庭の問題を抜きに社会科学は考えられない。でも、自分にその能力は無かった」と洋さんが執筆分担を提案。快諾した珠枝さんだが「気付くのが遅すぎる」と苦笑する。

 洋さんが東京商科大(現一橋大)特別研究生、珠枝さんが津田塾専門学校(現津田塾大)の学生だったときに出会い、結婚した。ともに研究者の道を歩んだが、2人で取り組むのは58年に「社会主義思想史」を共著で出版して以来となる。

 「自由で平等な個人、という近代人の理念について研究してきたが、それは男が中心の考えでもあった」と洋さん。珠枝さんは「それを批判する形で、フェミニズムの思想と運動が生まれた」と切り返す。

 草稿やアイデアを持ち寄り、何を書き足すか議論を重ねる日々。珠枝さんは「女性が歴史の中でどう論じられてきたのかを見直し、今日の女性問題の起源を探りたい」と意気込んだ。〔共同〕

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35674940S8A920C1CN0000/

ガンバ大阪、清水エスパルスを振り切って残留争いに踏みとどまる。

うん、よく勝った。てか、ファンウィジョがいてよかった。

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G大阪2発3連勝、清水2戦ぶり黒星/清-G27節
[2018年9月21日21時40分]

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清水対G大阪 前半、指示を出すG大阪宮本監督(撮影・山崎安昭)

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清水対G大阪 前半、ゴールを決めたG大阪FWファン・ウィジョはガッツポーズ(撮影・山崎安昭)

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清水対G大阪 前半、オウンゴールを誘発したG大阪FWファン・ウィジョ(中央)はチームメートとタッチをかわす(撮影・山崎安昭)

明治安田生命J1:清水1-2G大阪>◇第27節◇21日◇アイスタ

アウェーのガンバ大阪が先制点を取った。前半1分。右サイドを抜け出したMF小野瀬が中央へクロスを送ると、FWファン・ウィジョが右足で合わせた。シュートはクロスバーにあたったが、ゴール方向へ転がったこぼれ球を清水エスパルスDFがクリアしきれず、オウンゴールとなった。

勢いに乗ったG大阪は、同26分にも追加点を奪った。MF倉田が左サイドを突破。敵陣深い位置から折り返し、最後はファン・ウィジョが左足で決めた。

ホームの清水は、同31分。ゴール前でMF白崎の落としを受けたMF竹内が右足で狙ったが、シュートは枠を外した。同45分にはFW北川が反転シュートを放ったが、これも決まらず。G大阪が2点をリードして前半を折り返した。

後半は、清水が押し気味に展開した。同25分から布陣を4バックから3バックに変えると、同31分だった。FW北川がドリブルで抜け出し、右足でゴール。1点を返した。その後も、同37分にDF立田がポスト直撃のミドルを放つなど猛攻を仕掛けたが、最後まで同点ゴールは奪えなかった。

前半のリードを守りきったG大阪が、宮本監督就任後、初の3連勝。清水は連勝を逃し、2試合ぶりの黒星となった。

https://www.nikkansports.com/soccer/news/201809210000916.html

韓国の報道と動画もチェックしておきましょうかね。日本の公式よりも視聴されているみたいですよ。

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'황의조 2G 연속골' 日 감바 오사카, 시즌 첫 3연승
OSEN 입력 2018.09.21 22:21

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황의조(26, 감바 오사카)가 두 경기 연속골을 터뜨리며 팀을 강등권에서 구해냈다.

황의조는 21일 일본 시즈오카시의 시미즈 니혼다이라 스타디움서 열린 2018 J리그 27라운드 시미즈 S펄스와의 원정경기에서 맹활약, 팀의 2-1 승리를 이끌었다.

선발로 나선 황의조는 1-0으로 앞선 전반 26분 왼발 논스톱 슈팅으로 추가골을 넣었다. 황의조는 앞선 전반 1분 크로스바를 맞히면서 상대 자책골을 이끌어내기도 했다.

이로써 리그 3연승을 달린 감바 오사카는 8승6무13패, 승점 30점을 기록하며 강등권이던 17위에서 14위로 뛰어올랐다. 감바 오사카의 리그 3연승은 지난 2016년 9월 25일 나고야 그램퍼스전 이후 2년만이다. 미야모토 쓰네야스 감독 부임 후 첫 3연승 쾌거다. 반면 시미즈는 10승4무13패, 승점 34점으로 제자리걸음을 했다.

황의조는 지난 15일 2018 자카르타-팔렘방 아시안게임 복귀 후 가진 첫 경기에서 결승골로 팀 승리를 가져왔다. 당시 황의조는 안드레스 이니에스타가 뛰고 있는 비셀 고베와의 원정경기서 후반 23분 2-1로 승리하는 역전골을 터뜨렸다.

한편 이날 시미즈는 후반 31분 기타가와가 만회골을 성공시켰다. 하지만 이미 승부가 기운 후였다.

[사진] 감바 오사카 트위터

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http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2018/09/21/2018092103097.html


追記:まあでも、問題はここからです。調子を落として取りこぼしを出すようなことがあれば(以下略

高レベル残留争い 勝ち点30以上17チームは最多
[2018年9月23日7時20分 ]

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J1勝敗表

最下位のV・ファーレン長崎がベガルタ仙台に1-0と勝ち、2連勝で勝ち点を27に伸ばした。横浜F・マリノスジュビロ磐田に2-1で競り勝ち、勝ち点32で12位へ浮上。10位の清水エスパルス以下、9チームが勝ち点7差にひしめき合う大混戦となった。

◆J2自動降格圏となる17位のガンバ大阪まで勝ち点30以上。年間18チーム制となった05年以降、27試合を消化して同30以上が17チームは最多。08年の16チームを更新した。昨季の12チームを大きく上回っており、今季J1残留ラインは高くなりそうだ。最下位の長崎も勝ち点を27に伸ばしたが、最下位チームの勝ち点としては、09年ジェフユナイテッド千葉のシーズン終了時に並ぶ最多タイ記録。長崎が勝ち点を30にのせれば、全18チームが年間勝ち点30以上という史上初のケースに。

https://www.nikkansports.com/soccer/news/201809230000116.html

岡山大学の「研究教授」構想

うーん。「研究教授」って、任期付きってイメージがあるんですけど、それって韓国特有のものでしたかね…?

ま、それはそれとして、どうなんでしょうかね。人件費自体を増やすつもり(余裕)はなさそうですし、雑務を抱えてヘトヘトになってる人たちが、自分たちのリソースを少しずつ持ち寄って苦労を分担して引き受けて、他人に希望を託しているような図しか浮かばないんですけど。

傷つきながらも、こんな勇壮な光景が見られるのであれば、まだ少しは見れるのですが、ちょっと違うような気もします。

www.youtube.com

岡山大「研究教授」を新設 優れた准教授対象、管理業務を免除
2018/9/21付日本経済新聞 朝刊

 岡山大は優れた研究実績を持つ准教授に与える称号として「研究教授」を新設する。給与待遇は変わらないが、管理的な業務などを免除し研究に専念できるようにする。優秀な若手研究者の活躍の場を広げ、人材をつなぎ留める狙いもある。26日の役員会で正式決定する。

 対象は全ての学部・大学院、研究所などの准教授。文系理系を問わず、応募して審査に通れば認定する。「引用度で上位10%に入る国際的な論文を書く」「国際共同研究のような大型研究の代表者として認められている」などの条件を同時に満たすことが必要という。

 研究教授は教授と准教授の間に位置づけ、准教授より規模の大きい研究組織を率いることができる。学内委員会の職務などを免除し、学部によっては一部授業の軽減も想定されるという。

 報酬は准教授と同等。ただ、研究者が外部から獲得した研究資金のうち大学本体に入る「間接経費」を、研究教授には学長の権限で優遇して配分できる。教授昇格に際しても他大学から応募してきた教授と同格に扱う。

 設置期間は2022年3月までだが、その後の継続も視野に入れる。岡大の竹内大二副学長は「内外から研究の核を形成できる人と認識してもらえるメリットがあり、教員本人のモチベーションが高まっていくことを期待している」と話す。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO35584220Q8A920C1CR8000/

映画「1987」をシネマート心斎橋で観る。

先週末の話になりますが、観てきました。

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www.youtube.com
www.youtube.com
1987arutatakai-movie.com

公開2週目の週末の昼間の回だったということもあるでしょうが、スクリーン2が満席、完全に埋まっていました。ちょっと早めに行って席確保しといてよかった…。

日本で観た人の反応は、おおむね良好なようです。「ま、そらそうやろな」と思います。釜山で観た時からそうなるだろうと思っていました。

韓国現代史がどう、1980年代がどう、と論じることもできる(というかそれが本筋)の作品なんですけど、これはまず何といっても、ドラマとしての完成度が高いんですよ。一人の若者の死が闇に葬られようとしている理不尽をめぐって、一人ひとりの義憤が少しずつ権力の壁を穿ち、その連鎖が奔流となって時代を押し流していく。その展開が一瞬の隙もなく2時間にわたって展開して、ダレる暇も息つく暇もありません。

ある意味、忠臣蔵が幕末維新に直結されたようなストーリー、「これは絶対受け入れられる」と昨年末に思いましたし*1、(遺族や当事者がいて、客観的にドラマとして観ることが難しい面のある)韓国で上映されたとき以上の反応があってもおかしくないと思っていました。上映館数はもっと多くてもよかったでしょうね。

blue-black-osaka.hatenablog.com

個人的には、日本語字幕付きでのリベンジだったわけですが、思ったよりもわかってましたね。もちろんまあ、細かいところはやはり抜けがありました*2

で、改めて見返してみて、極私的に推したいのはやはり、東亜日報社会部長役のコチャンソクです。これはよかった。

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マドンソクのように、脇役から主役に躍り出てもいい俳優さんだと思っています。

ちなみに、そのコチャンソクを含む「隠れた主役たち」を紹介したこの記事、カンドンウォンとヨジングの写真は載っていません。これ実は、公式サイトやパンフレットにも共通しています。

それが李韓烈と朴鍾哲という二人の烈士への配慮であることは、容易に想像がつきます。

'1987'을 지탱한 숨은 주역들 Choice 5
조재형 칼럼니스트 승인 2018.01.24 22:18:12

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▲ '1987' 포스터

[디아티스트매거진=조재형] 2017년 12월 27일에 개봉해 2017년의 한국영화계 마무리를 완벽하게 지어준 영화가 ‘1987’이다. ‘1987’이 개봉 초기에는 다른 동시 개봉 경쟁작들에 밀려 흥행지수를 쉽게 올리지 못 했다. 그러나 대중들은 서서히 지난 날의 역사, 그 역사에 대한 고찰을 입에서 입으로 전했다. 그 입소문은 성숙하고도 능동적이고도 긍정적인 역사 대면으로 이어졌다. ‘1987’의 개봉일자가 대략 한 달 즘 됐다. 손익분기점 400만 관객동원도 약 700만에 육박하는 관객동원 수로 넘어섰다. 결국 ‘1987’은 작품성으로나 파급력으로나 흥행면에서나 전부 성과를 거두었다. 이렇게 현대역사영화의 한 획을 긋게 된 ‘1987’, 1987년 당시의 시대를 구성하게끔 한 그 날의 인물을 연기한 ‘1987’ 숨은 주역들을 다시 주목해보자.

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▲ '1987'에 치안 본부장으로 출연한 우현

우현

우현이라는 배우가 ‘1987’에 출연한다는 것, 이 자체만으로 ‘1987’은 마케팅과 화재성을 동시에 얻어낼 수 있었다. 왜? 우현은 실제 1987년 박종철 고문치사 사건 항쟁 일선에 섰던 운동권 출신이었기 때문이다. 그런 우현이 ‘1987’에. 그런 우현이 ‘1987’에 치안본부장 역할로 출연한다니. 정말 대중들로 하여금, 그 날을 체험하고 싶은 대중들로 하여금 많은 생각을 하게하는 존재였다. 존재만으로 끝나는가? 아니다. 우현은 줏대 없는 그저 실제 부하직원에게 휘둘리는 그런 무능력한 공권력의 단상을 연기력으로 보여줬다. 그랬다. 우현은 가장 잘 아는 시대의 아픔을 담은 그 영화에 자신이 직접 출연하여 완성시키고 싶었던 것이다. ‘1987’이란 영화를.

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▲ '1987'에 동아일보 사회부장으로 출연한 고창석

고창석

참으로 다양한 감정을 선사한 영화가 ‘1987’이다. 시대의 부당함을 보여 느껴지는 분노, 무고한 희생자들을 바라볼 때 느껴지는 슬픔, 시위에 나서는 대학생들을 볼 때 느껴지는 패기 등 여러 가지가 느껴진다. 그리고 꼭 언급하고 싶은 감정이 있다. 분명 모두가 느꼈을 것이다. ‘1987’이란 영화의 본격적인 전개는 언론사의 집요한 취재로 시작됐다. 진실을 밝히겠다는 언론의 집요함 그리고 그 집요함 끝에 터져버리는 불의에 대한 저항 그 절정을 배우 고창석이 동아일보 사회부장 역을 연기하며 폭발시켰다. 그렇다. 언론은 그래야한다. 권력에 대한 견제, 비판에 대한 연속 이를 고창석이란 배우가 짧게 그리고 강하게 선보인 것이다. 1987년도의 언론은 불타올랐다.

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▲ '1987'에 故박종철 열사 삼촌으로 출연한 조우진

조우진

영화 ‘1987’보다 배우 조우진에 초점을 맞춰보자. 조우진은 정말 많은 영화를 2017년도에 출연했다. 일일이 전부 나열할 수 없을 정도다. 다작王 계보를 제대로 이어받은 조우진은 2017년의 마무리를 ‘1987’로 지어 ‘1987’ 단단한 한 축을 세워냈다. 사실 대중들 대부분이 조우진이 출연했는지 몰랐을 것이다. 그만큼 조우진은 박종철 열사 시신을 직접 확인하는 삼촌의 역할로 위화감 없이 자연스럽게 연기한 것이다. 슬픔을 그대로 이어받아 영화를 전개시키는 것, 상당한 부담이다. 그러나 그 부담은 조우진에게 극복할 수 있는 수준이었다. 갑작스레 죽음을 당한 조카를 확인하는 그런 슬픔을 당한 삼촌의 울분, 그 울분을 조우진은 얼굴로 몸짓으로 표현했다. 짧은 분량이었어도 슬픔을 나눠준 조우진, 그는 이미 좋은 배우였다.

강동원

1987년에는 두 명의 민주화 열사가 운명을 달리했다. 1987년의 민주화운동을 이해하기 위해선 두 인물을 반드시 알아야 한다. 그 중 한 명이 故이한열 열사다. 결과론적인 논리는 배제하고 보자. 그저 대학생이 시대에 저항하고자 시위에 나선 것이다. 하지만 그 행동은 단순히 문장 하나로 치부될 것이 아니다. 시위에 나선 것 자체가 결과이고 안타깝게 목숨을 달리한 것에는 우리는 영원히 추모해야한다. 이런 故이한열이란 인물을 강동원이 연기해 故이한열이란 인물에 영화에 딱 알맞게 드라마를 부여했으며 마지막 역사의 귀결까지 정확히 이뤄냈다. 故이한열 열사를 기억하는 방법은 여러 가지가 있다. 그 중 가장 예술적인 방법으로 ‘1987’에서 표현한 것 같다. 연출한 장준환 감독 그리고 연기한 강동원에 찬사를 보낸다.

여진구

1987년 민주화를 상징하는 열사 두 명 중 한 명이 故이한열 그리고 다른 한 명은 故박종철이다. 지금 이 시점에서 故박종철은 그저 민주화 열사로만 기억되면 안 된다. ‘1987’이란 영화가 존재케 해주는 영화의 시작, 그것이 바로 ‘박종철 고문치사 사건’이다. 영화 ‘1987’을 보러오는 사람들 대부분이 한 가지 궁금증을 품고 영화관에 들어섰을 것이다. ‘과연 故박종철은 누가 연기할 것인가?’ 극이 전개되면서 서서히 故박종철이 고문당하는 장면이 나타났다. 故박종철은 여진구가 연기했다. 모두가 기억하는 故박종철 열사의 사진, 그 무거운 안경 낀 그 사진과 여진구의 모습은 상당히 닮아있었다. 故박종철 열사와 배우 여진구의 닮음은 가장 확고한 ‘1987’의 중심이자 무게로 작용했음은 분명하다.

http://www.theartist.co.kr/news/articleView.html?idxno=3649

結論として、いい映画です。観る価値あります。

www.tbsradio.jp
www.youtube.com
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*1:ただし、「ただ受ける」だけではなく、エンディング近くの「〈南営洞であったこと〉の真相」や、エンディングロールのニュース映像で、観客はこのドラマを「そう遠くない昔、現実にあったもの」としてリアルに体感することになります。このへんの構成も、実によく考えられています。

*2:一つだけ、字幕のアラ発見。朴鍾哲が火葬された「ビョクチェ(벽제)火葬場」。今でもソウル市立の火葬場の一つとしてありますけど、その漢字表記がおかしかったですね。「辟除」とか書いていたような…。これは普通名詞ではなく、高陽市にある地名で、正しくは「碧蹄」のはずです。

関西空港に無理をさせてはいけない。

深刻な被害を受けた関西空港に、そこまで無理を押して復旧を求めるのは、よくないと思います。

つきましては、伊丹空港金浦空港間の国際線就航だけでも実現してから、話を先に進めるべきであると思います。はい。

news.zum.com
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toyokeizai.net
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伊丹、神戸空港 国際線準備もどかし しぼむ「就航」
毎日新聞 2018年9月19日 13時45分(最終更新 9月19日 13時45分)

 台風21号の浸水被害を受けた関西国際空港の減便を補うため、大阪(伊丹)、神戸両空港で国際線の運航が可能になった。だが、関空連絡橋の鉄道は18日に再開され、関空の旅客便は21日から被災前の運航ダイヤに戻る見通し。伊丹・神戸での国際線就航はこのまま実現しない可能性は高いが、税関や検疫、出入国手続きを担う政府機関は、もどかしさを感じながらも準備を進めている。

 定期便が国内線に限られる両空港には、CIQ(税関、出入国、検疫)の施設がなく、国際線就航には新たに整備する必要がある。国際線と国内線、出発と到着の利用者が交じらないような施設改修も求められる。

 1994年まで国際線が就航していた伊丹。検疫を担うことになる厚生労働省大阪検疫所は「準備はほぼ終わった。体温を測るサーモグラフィーも搬入した」と話す。大阪税関の広報担当者も、職員配置や設備改修について「大きな問題はない」と自信をみせる。

 利用者や飛行機の受け入れ能力の限界もある。3空港を運営する関西エアポートの西尾裕専務執行役員は「待合室などが限られ、大型機が入るのは難しい面がある。航空会社から要望があれば協議していきたい」と話す。伊丹・神戸から国際線を飛ばす具体的な動きはまだないという。

 大阪入国管理局も「準備は進めているが、実際に飛ぶのか報道以上の情報はない」と戸惑う。実現した場合、関空の人員を充てる予定で、「関空便が増えれば、対応しづらくなる」と明かす。

 神戸では、2006年2月の開港以来、国際交流事業で団体が自己使用のために借り上げる「オウンユース」の国際チャーター便を計4往復運航した実績がある。神戸市によると、中国、韓国に計約770人の乗客を運んだ。当時の乗客はターミナル1階の一室に検疫所などが職員を派遣してCIQ手続きを行った。同時に複数便を受け入れる場合、ある程度の設備も必要だが、関西エアの広報担当者は「関空復旧までの一時的なものなので、新たに常設の設備を作るのは考えにくい」と話した。

【山口知、目野創】

https://mainichi.jp/articles/20180919/k00/00e/040/271000c

「退職阻止」という違法行為

「悪質な引き留め」とか「退職トラブル」とかいった和らげた表現が使われていますけど、これ紛れもない違法行為ですから。「理解が行き届いていない」とか、そういう問題とちゃいますから。

こんなもん、労働組合や労働行政のレベルで引き受けて対処せなあかんことでしょう。ビジネスチャンスになんかさせたらあかんですよ。

「退職認めない」 悪質な慰留横行、解雇相談上回る
真相深層 社会
2018/9/18 20:30 日本経済新聞 電子版

 転職したいのに会社が退職を認めず、離職票さえ渡さない――。そんな退職トラブルが全国で多発している。人手不足に悩む企業が引き留めに動いたためで、厚生労働省に持ち込まれた相談件数は解雇の相談を上回った。悪質な引き留めは、成長産業への人材移動を阻んでいる。

■退職届を受理せず

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就労時の義務や退職の権利を事前に教える動きがある(千葉県柏市の柏わかものハローワーク

 「退職トラブルの間は笑えなかった。食事も取れず心は泥沼だった」

 2017年11月から今年1月まで、首都圏の大手専門商社を退職しようとして執拗な引き留めにあった営業職の女性(25)は振り返る。女性が活躍できる職場を求め人材サービス業の内定を得たが、上司は「絶対辞めさせない」と面談を拒否。退職届すら出せないまま2週間放置された。

 転職予定先からは心配する声が届き、身の置きどころがない。意を決してコンプライアンス部門に直訴したところ、ようやく手続きが始まった。だが入社日は予定から1カ月も遅れてしまった。

 退職届を受け付けない、離職票がもらえない――。17年度、全国の労働局に個別労働紛争として寄せられた自己都合退職のトラブル相談は3万8954件。解雇相談を17%上回った。リーマン・ショック翌年の09年度には解雇相談が引き留めの4.1倍あったが、16年度に逆転。17年度はさらに差が広がった。

 特に変化が目立つのが地方だ。17年度は東京や福岡など労働力人口の多い大都市を除いた41道県で、引き留め相談が解雇を上回った。

 特定社会保険労務士の須田美貴氏は、この1年で引き留め案件を9件扱った。その多くが中小企業。「5月には、小さな出版社を辞めようとした30代の女性が『ここまで育てたのに何だ』と圧迫された。中小企業の経営者から『君が辞めて損が出たら賠償請求するぞ』とすごまれた話もよく聞く」と実情を明かす。

■人手不足が背景 人材移動阻む

 背景には人手不足がある。地方では地場企業の経営者の力が強いといった事情もある。引き留め相談が特に多い長崎労働局の内山昭宣雇用環境・均等室長補佐は「地方でも人材が不足するなか、高圧的な経営者の引き留めに抵抗できる人が少ない」という。

 保身に走る管理職の意識も影を落とす。冒頭の女性は「面談を拒否した上司は女性部下の退職で評価が下がるのを嫌がっていた」と振り返る。

 こうした過度の引き留めは戦前にみられた労働の強制に通じる面さえある。その反省から戦後定められた労働基準法は、5条で精神的、肉体的強制で労働者を意に反して働かせることを禁じ、10年以下の懲役など同法で最も重い罰則を科した。

 また民法627条は期間を定めない無期労働契約で働く人が退職を申し出たら、2週間で退職できると規定。退職時のマナー問題を別にすれば法的には企業に退職自体を拒否する権限はないが、現場では労使ともに理解が行き届いていない。

■退職代行ビジネスも登場

 それを示すのが「退職代行ビジネス」の登場だ。パワーハラスメント的な引き留めを恐れる人から依頼を受け、本人に代わって退職届を提出する。例えばEXIT(東京・新宿)では手数料5万円で代行している。民法の2週間後退職規定を応用した新業態だ。

 同社の新野俊幸共同社長(28)は「弁護士法への抵触を避けるため、退社条件の交渉は一切行わず、退社意思の伝達に徹している」と話す。昨年5月の創業以来、約1000人の依頼を受けた。20代前半の男性からの依頼が多いという。

 強引な引き留めを受け、労働局に対して実質的な金銭解決である「あっせん」を申請する人も増えてきた。労働者が泣き寝入りする図式は成り立たなくなっている。

 エン・ジャパンが昨春実施した調査によると、退職希望者に昇給などの「カウンターオファー」を提示した企業は65%あった。それでも6割の企業が成功確率が「20%以下」と回答。正当な説得であっても、辞めたい人の引き留めは難しい。

 生産年齢人口が減るなか、政府は成長産業への人材移動を後押ししている。過度な引き留めは、自由な労働市場の妨げになっている。

(礒哲司)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35486420Y8A910C1EA1000/

ヤノベケンジ「サン・チャイルド」と福島と南茨木

まあ、南茨木駅を通りかかってはじめてこの像を見た時は、訳わからんかったですよ。「なんじゃこれ?」と思いましたし、今も正直あんまり趣味ではないです。

www.youtube.com

ただ、そこに込められた意図を後から聞いて納得する部分はありましたし、そこまで嫌悪するほどのものとは思っていませんでした。

2012年3月6日12時3分
未来の空眺めて 復興祈り「サン・チャイルド」像登場

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拡大阪急南茨木駅前に現れた「サン・チャイルド」=大阪府茨木市、水野義則撮影

 巨大な未来の子ども像が大阪府茨木市の阪急南茨木駅前に現れた。東日本大震災原発事故からの復興と再生への願いを託し、現代美術家で京都造形芸術大教授のヤノベケンジさん(46)が製作した「サン・チャイルド」。震災から1年となる11日、除幕式がある。

 高さ6.2メートルの強化プラスチック製。防護服を着た子どもがヘルメットを脱ぎ、放射線を測定する胸のガイガーカウンターはゼロを示している。

 右手に持つのは、ネオンで出来た太陽。「希望のエネルギー」「再生の光」の象徴だ。原子力放射能をテーマに作品を発表しているヤノベさんが、事故が起きたチェルノブイリ原発近くの町を1997年に訪れた際、廃虚となった保育園の壁に描かれていた太陽の絵をモチーフにした。

 ヤノベさんは震災後、「今こそ芸術がやるべきことがある」と考え、学生17人と3体のサン・チャイルドを製作した。ヤノベさんの出身地の茨木市のほか、1体は4月以降に第五福竜丸展示館(東京都江東区)に、もう1体はロシア・モスクワの美術館に14日から展示される予定だ。

 ヤノベさんは「来るべき未来を想像できるようなものを作るのが芸術家の役割。今、日本は大きく傷つき、サン・チャイルドも顔にばんそうこうを貼っているけど、たくましく立ち、未来の空を眺めています」と話す。(石田貴子)

http://www.asahi.com/special/10005/OSK201203060011.html

なので、福島でこういうことになってしまったのはやや残念な話です。作者はもちろん、関係者各位には不本意なところもあるでしょう。

実際、南茨木駅のほうでは、最初あった違和感も徐々に薄れてきて、最近ではいちいち気に留めることもなくなっていたのです。でも、福島でこういうことがあったとなれば、その「風評被害」で南茨木の像まで撤去、なんてのはどうも面白くない話になりますね。

「JR福島駅近くからは撤去されても、阪急南茨木駅近くではなお健在」という状況を敢えて堅持したほうが、社会的にまだ健全な気がします。

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3月11日、ヤノベケンジのサン・チャイルドが大阪に立つ。 - 十三のいま昔を歩こう
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ネット空間も飾った防護服アート 撤去に「分断疲れた」
丸山ひかり、森本未紀、大西若人 2018年9月9日23時33分

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撤去が決まった「サン・チャイルド」。続々と見に来る人がいた=1日午後、福島市の「市子どもの夢を育む施設こむこむ館」前

 原子力災害の記憶の継承などを願って福島市の施設に置かれた現代アートに、「防護服姿は風評被害につながる」といった批判が寄せられ、撤去されることになった。放射線をめぐる地元の苦悩が浮き彫りになる一方、メッセージ性のあるパブリックアートのあり方を改めて考えさせる事態になっている。

 JR福島駅にほど近い市の施設のひさしの下に、高さ6・2メートルの子ども像「サン・チャイルド」は立っている。施設は子どものためのもので、図書館やプラネタリウムが入る。

 作品は、現代美術家で京都造形芸術大教授のヤノベケンジさん(52)が、東京電力福島第一原発事故を受けて2011年に手がけたもの。黄色い放射線防護服を着ているものの、ヘルメットは脱いでいる。顔に傷やあざのようなものが見える一方、大きな目を輝かせ、胸のガイガーカウンターは「000」。「事故による放射線の心配のない世界を迎えた未来」を表現したという。像の前では「事故があったことを残してもいい」(76歳男性)、「防護服が必要な環境だったと思われる懸念はわかる」(32歳男性)といった声が聞かれた。設置した福島市の木幡浩市長は「未来に向かう市のスタンスと合致する作品だと思った」と話す。

 しかし、8月3日の公開後、防護服姿が生む風評被害を心配する声や、自然界でもカウンターの値は0にはならないといった指摘が市に寄せられ、ソーシャルメディアでも続いた。市が施設で自由記述式のアンケートをすると、撤去・移設を求める声が約7割に。一方、「可愛い」「芸術作品として見るべきだ」といった賛成意見もあった。

 市長は賛否が分かれる作品を「復興の象徴」として置き続けるのは困難と判断。8月28日に撤去を表明した。ヤノベさんも苦しむ人がいるならと同意し、朝日新聞の取材には「敵対のためではなく、もっと大きな人類共通の課題を克服する作品になるよう目指していた。撤去を早々に判断したのも、対立や分断が広がることを憂慮したため」と回答した。

 福島県在住のライター林智裕さん(39)は、反発を生んだ背景に、放射性物質による被害を誇張する言説に苦しんできた福島の人々の怒りがあると指摘。福島市で子育てをしながら放射線量を測り、知識を普及する活動をしてきた佐原真紀さん(46)は、「賛成、反対どちらの気持ちも分かる」と話し、こう続けた。「放射能をめぐる分断に、この7年間みんな疲れています」

 今回の問題は、公共空間に置かれるアートについても考えさせることになった。

 一般にパブリックアートは、街の美観や日常的な芸術体験につながったり、共同体の核になったりといった意義が指摘される。だが、池田ともゆき・武蔵野美術大教授は、「公共の場所に突然現れる巨大なモニュメントは、見る人の感覚によって暴力に映る」と指摘。渡辺晃一・福島大教授は「アートは社会的問題を提起するので、環境のデザインとは異なる」と話す。

 サン・チャイルドは、再生可能エネルギーの推進を支援する団体から市が寄贈を受け、7月初旬に設置を発表した。ヤノベさんは「合意形成の期間があまりに短すぎたのが最大の問題」。木幡市長も「いきなり恒久展示ではなく、展示してみて市民の反応を探るのがよかったのかもしれない」と話す。

 同じ作品は12年、福島空港のロビーに展示された際は好評で、評価は展示の場所や時期によっても変わってくる。ヤノベさんは「(放射線の恐怖感や風評被害といった)嫌な記憶だけを思い出す方がいることの現状を、もっと市民の皆様と意見交換し調査しておくべきでした」と述べた。

 また今回、著名人が意見を投稿するなどしてインターネット上で賛否が膨らんでいった。建築の専門家で公共空間に詳しい五十嵐太郎・東北大教授は「ソーシャルメディアでは、極端な意見が交わされやすく、議論はなかなか難しい」。ヤノベさんが「ネットもまた公共空間の一部。受け止めていくしかない」と述べるように、現代のパブリックアートは現実とネット上の二つの空間に置かれているといえる。(丸山ひかり、森本未紀、大西若人)

今までも様々な場所で展示されてきた「サン・チャイルド」。作者のヤノベケンジさんに作品に込めた思いを聞きました。後半に続きます。

作者ヤノベケンジさんが込めた思い

 福島市の施設に設置された現代アート「サン・チャイルド」の撤去が決まった問題で、作者のヤノベケンジさん(52)が、朝日新聞の取材にメールで答えた。主な内容は以下の通り。

     ◇

 ――「サン・チャイルド」に反発や不快感を覚える人がいるかもしれない、ということはあらかじめ予想していましたか。

 2011年に制作した作品であり、危機的な状況とその克服という二つの要素が入っています。その中で、危機的な状況を表す「防護服」や「カウンター」が、その克服である「ヘルメットを脱いでいる」ことや「ゼロの表記」があったとしても、(見た人が)不快感を覚える可能性はあるとは思っていました。

 ただし、7年の間に様々なところで展示をしてきて、そのような反応がなかったこと、福島市が主導されているので、設置の場所や時期、広報次第と思っていました。とはいえ、少し懸念もしておりましたので、他の地域に設置する方が良いのではと提案したり、平穏な日常を迎えた「サン・シスター」を同時に展示することも提案していたのも事実です。実際、12年以降は、「サン・シスター」「フローラ」「シップス・キャット」など震災や原発事故を想起させる作品ではなく、もっとポジティブなイメージが伝わる作品を展示してきました。

 また、胸のカウンターは、原子力災害がゼロになった象徴的意味を込めていましたので、ベクレルやシーベルトのような単位として捉えられ、非科学的と指摘されるとは思っていませんでした。この辺は、線量計が一般的になった現在の福島市の皆様に誤解を与えることになったと思います。

 ――これまで、「サン・チャイルド」をめぐって、問題が起きたことはありますか。12年の福島現代美術ビエンナーレで福島空港(玉川村)に置かれた時には、いかがでしたか。

 この時は、特段問題はありませんでしたし、福島現代美術ビエンナーレの会期が終了後も、延長されて展示されました。ただし、この時はかなり抵抗感があると思い、運搬費が事務局になかったこともあり、クラウド・ファンディングで支援者を募りながら慎重に進めました。

 ――もともと、福島市の公共的な場に「サン・チャイルド」を置くことの意味や意義を、どのように考えておられましたか。

 すでに東日本大震災から7年経ち、福島県外ではあまり話題にならなくなったり、震災後に生まれた子どもも多くなっているので、11年に制作をした危機の克服の像が、受け入れられるとすれば、前向きに記憶を引き継ぐ機会になるのではないかと思いました。

もっと意見交換しておくべきだった

 ――声明文では「展示する場所、時期、方法などによって受けとられ方は変わりますので細心の注意を払うべきでした」と記されていますが、具体的には、「場所」「時期」「方法」について、どう考えればよかったと思っていますか。

 パブリックアートについては、地元の団体や住民との意見交換を行いながら内容や場所を調整するので、その告知や合意形成の期間があまりに短すぎたというのが最大の問題だと思っています。合意形成を図る中で、場所、時期、方法は変わってくると思います。

 今回は特に、設置場所を想定して作ったのではない7年前の作品であり、7年間で作品がある程度知られるようになったかもしれませんが、逆に市民の皆様にとっては過度な放射線の恐怖感と、風評被害の記憶が積み重なった期間でもありました。

 ですから、7年前のままの姿を提示したら、前向きな気持ちよりも、嫌な記憶だけを思い出す方がいることの現状をもっと市民の皆様と意見交換し調査しておくべきでした。

 それを把握できていれば、展示までにもっと時間をかけるか、場所を変えるか、コンセプトを維持しつつ作品を新しく作り直したと思います。

 ――今回の福島市および市長の対応をどのように感じておられますか。

 早急に進めすぎたことは否めません。パブリックアートや芸術祭は首長の決断に左右されるので、決断が早いことは悪いことではありませんが、センシティブなテーマだけにもっと市民の皆様の意見を事前にヒアリングしておくべきだったと思います。

 ――今回、(インターネット上で賛否が広がり)ネット時代、SNS時代特有の動きもあったかと思います。この点、どのように受け止めておられますか。

 市民と市民外の人々がないまぜになってネット上で抗議を始め、マスコミに伝播(でんぱ)し、さらに市民の皆様がそれを知っていくという回転が続き、率直なところ対応が難しかったです。私自身が福島市に住んでおらず、地理的に遠いことからも、関係者以外の市民の皆様の生の声を聞く機会が少なく、騒動後に対話の機会をすぐに作れなかったのは悔やまれます。

 しかしながら、それも事前に十分な合意形成ができていれば問題はないでしょうし、ネットもまた公共空間の一部ではありますので、パブリックアートである以上は、そのようなネットへの広がりも含めて受け止めていくしかないと思っています。

 ――「サン・チャイルド」は、ヤノベさんの作品のなかでも、「かわいらしい」表現だと思いますが、「ゆるキャラ」のような存在とは異なると思います。どのあたりが違うと思いますか。

 「ゆるキャラ」は、社会的なメッセージを入れるような存在ではないと思います。私はキャラクターを使っていますが、そこにメッセージが込められており、「サン・チャイルド」は、「かわいい」と捉える人もいますが、「不気味」と捉える人もいます。強いメッセージ性は両刃の剣ですので、「ゆるキャラ」は入れないと思いますし、その違いは大きいと考えています。

 ――今後、どのような形で市民の方々と対話を進めていくご意向でしょうか。

 対話の仕方はなかなか難しく検討中ですが、まずは福島ビエンナーレの期間に、できるだけ幅広い市民の皆様の意見を聞く機会を持ちたいと思っています。

 一部の方に「サン・チャイルド」が、反原発かつ自然エネルギー推進のモニュメントと思われている方がおられるようなので、一言申し上げますと、廃炉作業は何十年とかかりますし、放射性廃棄物は何世代にもわたる管理が必要です。今後も何万人、何十万人もの作業員が必要になってくるでしょうから、その人々に対する敬意は絶対に必要でありますし、彼らも応援するようなモニュメントではないといけないと思っています。

 敵対のためではなく、もっと大きな人類共通の課題を克服する作品になるよう目指していたのは確かです。今回、撤去を早々に判断したのも、対立や分断が広がることを憂慮したためでした。

 ですから、対立している点を軸に話し合うのではなく、できるだけ共通した課題を見つけて話し合えればと願っています。(聞き手・大西若人)

https://digital.asahi.com/articles/ASL9440ZWL94ULZU008.html

福島の防護服着た像、解体始まる 撤去費用は190万円
古源盛一、小手川太朗 2018年9月19日06時51分

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「サン・チャイルド」の周りには、約6メートルの足場が組まれた=2018年9月18日午後3時7分、福島市早稲町、小手川太朗撮影

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撤去作業が始まった「サン・チャイルド」=2018年9月18日午後3時6分、福島市早稲町、小手川太朗撮影

 福島市が設置し、市民らから批判を受けた子どもの像「サン・チャイルド」の撤去作業が18日、始まった。設置場所の「市子どもの夢を育む施設こむこむ館」(同市早稲町)でこの日、台座の一部が解体された。午後3時すぎには、像の高さ(約6・2メートル)に迫る約6メートルの足場が組まれ、道行く人たちが足を止めて写真に収めていた。

 同館によると、像の周囲を布で覆い、20日までに解体、市有施設に運び込むという。撤去費用に190万円かかる見込み。(古源盛一、小手川太朗)

https://www.asahi.com/articles/ASL9L51F0L9LUGTB00B.html

【仁川の風景】2018年夏、雨の仁川家族公園・その2:新旧墓域の交差点

こちらの続きになります。

blue-black-osaka.hatenablog.com

セウォル号追慕館の正面に伸びる道を歩くとすぐにある分岐。直進は見たこともない風景で、左は既視感のある様子。

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まずはとりあえず左へ。

旧来の土葬墓域は、秋夕より1か月近く前なこともあって、伐草作業はまだやってない感じの佇まいでした。

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その先に見えてくるのが、分岐の看板に書いてあった「階段式家族墓域」。急斜面を造成して巨大な共同墓域にしています。

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この両者、仁川施設公団が言うところの「非造成墓地」と「造成墓地」の典型だと言っていいでしょう。

인천시설공단 공설묘지
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仁川家族公園の広大な墓域はこの先にも広がっているのですが、蒸し暑く今にも雨が降りそうな気候のもとで、これ以上進む気にも階段式墓域の石段を上がる気にもなれなかったので、先ほどの分岐点に戻ります。

この道、改装前はこんな立派な歩道付きの2車線道路ではありませんでした。

このあたりはもともと、旧来の土葬墓が広がっていた場所で、前回来た時にはそれが撤去されて禿山化していたところです。

そうこれこれ、これですね。

blue-black-osaka.hatenablog.com

それが、こうです。棚田のように平坦な埋葬地を作り、芝生葬もしくは草花葬の用地に充てると見えます。

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他方、道路の山側にはこんな感じで奉安堂(納骨堂)が延々と伸びています。屋外型ですが、納骨壇の前の祭祀スペース(歩道兼用)に庇が張り出していて、雨露はいちおうしのげるようになっています。

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そのすぐ下の遊歩道エリアにも奉安堂が設置されていますが、こちらは屋根なしですね。

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仁川家族公園にある旧来の土葬墓域の中でも、このエリアがまず重点的に改装されたのは、おそらく「より中心部にある非造成墓地」だったから、ということで説明がつきます。将来的にはどうなるか不透明ですが、造成され、秩序だった家族墓が並んだ隣接エリアは、現段階では手付かずです。

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ちなみに、納骨壇の背後の斜面には、かつてこの一帯に広がっていたはずの非造成墓地の「生き残り」を、まだ見ることができます。そうした非造成墓地はまた、この裏山に広がる樹木葬地とも接しています。次の段階では、このへんの「整備」があっても驚きません。

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さて、かくして、火葬場や葬礼式場まであと少しのところまできて、「以前そこにあったはずのものがない」ことに気づきました。それも三つ一気に。

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比較対象はこちらの記事です。

blue-black-osaka.hatenablog.com

そのうちの二つ、「無縁故合同墓」と「合同墳墓」は、一か所にまとめられて山側に移動していました。「幽宅の丘」がある限り、そこに葬られる遺灰を引き受ける合葬墓は(どのような形であれ)必ず必要となります。なので、これはこれで再整備事業として納得できます。

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問題は残る一つなのですが、これについては次の機会に。