光陽と麗水をつなぐ李舜臣大橋

なるほど、先日通りかかった南海大橋からすると、すぐそこに見えた光陽製鉄所の向こう側に架かっているということになりますね。この李舜臣大橋から亀甲船大橋へと向かう道は、山を越えて旧麗水市街*1に入り、KTX麗水エキスポ駅やエキスポ会場跡地をかすめて、韓国で7番目に大きい島だという突山につながっているわけです。

南海大橋から光陽方面を望む


記事入力 : 2013/01/23 12:51
李舜臣大橋、来月7日開通

亀甲船大橋に続き、露梁激戦地に「李舜臣ライン」


麗水市猫島と光陽市金湖洞をつなぐ李舜臣大橋が来月7日に開通する。この橋と麗水国家産業団地進入道路を合わせ9.58キロメートルを建設するのに事業費1兆703億ウォン(約892億円)が投じられた。/写真=キム・ヨングン記者

 全羅南道麗水市猫島と光陽市金湖洞をつなぐ「李舜臣(イ・スンシン)大橋」が来月7日に開通する。この橋は麗水市突山邑と旧中心部を結ぶ「亀甲船大橋」につながるため、地元では「『李舜臣ライン』が誕生した」との声も聞かれる。この地域は7年間にわたる壬辰倭乱(じんしんんわらん、文禄・慶長の役)に終止符を打った露梁海戦(1598年)の主な激戦地だ。

 李舜臣大橋は、慶尚南道・南海と河東の間にある露梁沖で敵の流れ弾に当たり戦死した李舜臣将軍の名を冠した橋だ。亀甲船大橋がかかる麗水海域は壬辰倭乱時に亀甲船が出入りした場所で、亀甲船が大砲の発射訓練をしていた所でもある。

 李舜臣大橋が含まれる道路の正式名称は「麗水国家産業団地進入道路」だ。光陽市から伸びるこの橋は、壬辰倭乱時に水軍連合司令部があった麗水市猫島へと続く。猫島から麗水産業団地GSカルテックス工場までつながる橋は「麗水大橋」だ。

 「李舜臣大橋−猫島−麗水大橋」とつながる産業団地道路は昨年5月の麗水万博時に臨時開通した。今回は残りの工事を終えての正式開通だ。海上橋6.22キロメートルを含め、総延長は9.58キロメートルに達する。総事業費は1兆703億ウォン(約892億円)だ。

 橋の名前が「李舜臣大橋」に決まったのは、世界で最も主塔が高い(270メートル)ことと、主塔間の距離が1545メートルと李舜臣将軍の生年と同じだからだ。

 麗水地域社会研究所のキム・ビョンホ前理事長は「順天側を眺めると、日本軍が最後にとどまった城が見える。光陽側には露梁沖の海が広がっている」と話す。

 李舜臣大橋と地方道・国道を経てつながる亀甲船大橋は、麗水万博時の交通量を分散させるために作られた戦略橋だ。「突山2大橋」という名称になる可能性もあったが、壬辰倭乱時に三道水軍統制営本営だった全羅左水営・麗水は朝鮮水軍の本拠地だから、この橋は「亀甲船大橋」と命名すべきだという世論が広まり、現在の名称になった。

 麗水は全羅左水営の客舎「鎮南館」、亀甲船を建造した「船所」、亀甲船祭りのメーン会場「李舜臣広場」があり、李舜臣将軍の母親が滞在していた熊川洞ソンヒョン部落遺跡、忠武公賜額祠堂1号「忠愍祠」、宝物に指定されている李舜臣将軍の「堕涙碑」などがある。

麗水= チョ・ホンボク記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/01/23/2013012301097.html

そんなわけで、李舜臣大橋から鎮南館や李舜臣広場のある旧麗水市街までは少し距離がありますが、光陽から麗水への交通が便利になったことは確かです。

麗水のあれこれ

*1:現在の麗水市は、かつての麗水市・麗川市・麗川郡が合併したものです。