慶山コバルト鉱山虐殺事件など、大邱・慶北地域の集団虐殺事件に国家責任を認定する大法院判決

「慶山コバルト鉱山虐殺事件」については、こちらをご参照ください。

경산 코발트광산 학살사건 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

https://namu.wiki/w/%EA%B2%BD%EC%82%B0%20%EC%BD%94%EB%B0%9C%ED%8A%B8%ED%83%84%EA%B4%91%20%ED%95%99%EC%82%B4%EC%82%AC%EA%B1%B4

[역사의 한 컷 10] 경산 코발트 광산의 비극
16.07.17 14:59 l 최종 업데이트 16.07.20 14:38 l 전승일(ani99)

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▲ [역사의 한 컷 10] 계속되는 민간인 학살... 경산 코발트 광산의 비극 경산 코발트 광산에서 쏟아져 나온 민간인 학살 희생자 유골
ⓒ 전승일

한국전쟁 발발 직후 이승만이 대전에 머무는 동안 바로 그 곳에서 대규모 민간인 학살이 일어났다. 당시 국군과 경찰은 6월 28일부터 7월 17일까지 세 차례에 걸쳐 적어도 4900여 명에서 7000여 명의 대전 형무소 재소자 및 보도연맹원들을 산내 골령골로 끌고 가서 집단학살한 것이다. 이는 아무런 법적 절차 없이 불법적으로 이루어진 반인도적인 집단학살 사건이었다.

그리고 연이어 1950년 7월 중순부터 8월 말까지 경북 경산에서 또 다시 대규모 민간인 학살 사건이 발생했다. 당시 국군과 경찰은 대구형무소에 수감되어 있던 재소자들과 예비검속된 대구·경북 국민보도연맹원 등 3500여 명에 이르는 민간인들을 경산시 평산동 폐코발트 광산과 인근 대원골 등지에서 집단학살한 후 경산 코발트 광산 갱도 내부에 집단 암매장한 것이다.

경산 코발트 광산은 1930년대 일제가 태평양전쟁에 소요되는 군사용 코발트 공급을 위해 채광을 시작한 대표적인 식민 수탈지로 2차 대전 종전 직전 폐광되어 방치되어 오다가, 1950년 대규모 민간인 학살이 벌어진 지역이다.

학살은 매우 잔혹한 방식으로 이루어졌다. 당시 포승줄에 묶인 채 수십 대의 군용트럭으로 실려온 사람들은 수직갱도 입구에 나란히 세워진 뒤 총살되거나 산 채로 수장되기도 했다. 또한, 일부는 도끼 같은 예리한 흉기로 가격당하거나 기름에 불태워지는 등 잔인하게 학살당했다.

'진실·화해를위한과거사정리위원회'는 2007년부터 2009년까지 3회에 걸쳐 경산 코발트 광산에서 학살 희생자 유해 발굴 사업을 하였고, 2009년 경산 코발트 광산 민간인 학살 사건에 대하여, "이 사건은 국민의 생명과 재산 보호라는 일차적 임무를 수행해야 하는 군과 경찰이.. 사람들을 불법 학살한 민간인 집단희생사건이다"라며 "비록 전시였다고 하더라도 범죄사실이 확인되지 않은 민간인들을 예비검속하여 적법절차를 거치지 않고 사살한 것은 명백한 불법행위이다"라고 진실규명 결정을 하였다.

http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002227289

朝鮮戦争期に各地であった良民虐殺事件、受刑者・保導連盟員虐殺事件の一部である諸事件の国家責任が、最高裁判所に相当する大法院で明確に認定されたという点で、意義ある判決です。

대구·경북서 발생한 6건의 '집단 학살 사건' 국가배상 확정
송고시간 | 2016/09/16 09:00

대법, 한국전쟁 발발 직후 발생한 '경산 코발트 광산 민간인 희생사건' 등 희생자 인정

(서울=연합뉴스) 임순현 기자 = 대법원이 1950년 7월 대구·경북 지역에서 동시다발로 발생한 민간인과 재소자, 국민보도연맹원 집단학살 사건의 피해자 유족에게 국가가 손해를 배상하라고 판단했다.

대법원 1부(주심 김소영 대법관)는 16일 '경산 코발트 광산 민간인 희생사건'과 '대구·경북 형무소 재소자 희생사건', '군위·경주·대구 국민보도연맹사건', '영천 국민보도연맹사건', '경산 민간인 희생사건', '대구·고령·성주·영천 민간인 희생사건'의 희생자 유족 306명이 국가로 상대로 낸 손해배상청구소송 상고심에서 원심과 같이 '국가가 희생자 유족에 손해를 배상하라'고 판결했다고 밝혔다.

다만 대법원은 "가족관계등록부 등의 서류를 살펴본 결과 희생자 중 한 명이 1950년에 숨졌다고 보기 어려운 부분이 있어 그 부분을 다시 판단하라"며 사건을 서울고법에 돌려보냈다.

재판부는 "일부 희생자의 사망신고일이 1950년 7월경이 아니고 희생자의 자녀가 1951년~1954년에 출생한 것으로 신고돼 있지만 한국전쟁 당시와 그 직후의 특수한 상황에 비춰보면 이례적이라고 볼 것이 아니다"며 "이런 사유만으로 과거사위원회의 조사보고서나 진실규명결정의 증명력을 배척할 것은 아니다"고 판단했다.

진실·화해를 위한 과거사정리위원회는 2009년 3월부터 2010년 6월까지 6차례에 걸쳐 한국전쟁 발발 직후 국군과 경찰이 1950년 7월경 대구·경북 지역 민간인과 재소자, 국민보도연맹원을 재판절차도 없이 집단 살해했다는 진실규명결정을 내렸다.

희생자 유족들은 과거사위원회의 결정에 따라 국가가 배상해줄 것으로 기대했지만 별다른 움직임이 없자 2011년 소송을 냈다.

1, 2심은 "과거사위원회의 결정에 따라 국가는 희생자 본인에 각 8천만원, 희생자의 배우자에게 각 4천만원, 부모와 자녀에게 각 800만원, 형제자매에게 각 400만원을 배상하라"고 판단했다.

2016/09/16 09:00 송고

http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2016/09/13/0200000000AKR20160913144700004.HTML

聯合ニュース日本語版は翻訳してくれてませんが、ハンギョレ日本語版が翻訳してくれています。

慶山コバルト鉱山民間人虐殺、66年ぶりに国家責任認定
登録 : 2016.09.16 21:18修正 : 2016.09.17 07:11

軍と警察が1800人以上虐殺したと推定

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2007年真実・和解のための過去事整理委員会は、慶尚北道慶山(キョンサン)のコバルト鉱山民間人虐殺者遺骨を発掘した。発掘された遺骨の前に犠牲者の遺族が菊の花を捧げた=慶山/イ・ジョングン記者//ハンギョレ新聞社

 韓国戦争の時、軍と警察が1800人以上を虐殺したと推定される慶山(キョンサン)コバルト鉱山民間人犠牲事件の国家責任を認める判決が下された。

 大法院(最高裁)1部(主審キム・ソヨン最高裁判事)は、慶山コバルト鉱山民間人犠牲事件など6件の朝鮮戦争前後に起きた民間人虐殺事件の遺族が国家を相手に起こした損害賠償請求訴訟で、国家責任を認める判決を最近下した。ただし大法院は犠牲者110人余の中の1人については家族関係登録簿などから1950年7月に虐殺されて亡くなったとは見難いとし、ソウル高裁に差し戻した。

 慶山コバルト鉱山民間人犠牲事件は、朝鮮戦争勃発後に慶尚北道慶山、清道(チョンド)、大邱(テグ)などから連行され大邱刑務所に収監された国民保導連盟員などを警察と軍が1950年7~8月に慶山市のコバルト鉱山などで集団虐殺した事件だ。国民保導連盟は左翼活動経歴者の思想改造を名分として1949年4月に李承晩(イスンマン)政権当時に作られた政府系団体で、左翼活動とは関係なく強制加入させられたケースも多かった。真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委)は、2007~2009年に慶山コバルト鉱山で363体の遺骨を発掘し、2009年11月この事件の真実糾明決定を下した。当時、真実和解委はこの事件の犠牲者を1800人以上と推定した。

 大法院はこれと共に大邱・慶北(キョンブク)刑務所の服役者犠牲事件、軍威・慶州・大邱の国民保導連盟事件、慶北・霊泉(ヨンチョン)国民保導連盟事件朝鮮戦争以前の慶山民間人犠牲事件、大邱・高霊・星州・霊泉民間人犠牲事件からなる6件の虐殺事件の国家責任も認め、310人余りの犠牲者遺族に117億ウォン余の損害賠償金を支払うよう判決した。真実和解委が推定した6件の民間人虐殺事件の犠牲者は5000人余に達する。

キム・ミンギョン記者

韓国語原文入力:2016-09-16 16:58
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/761439.html 訳J.S(1054字)

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/25177.html

かつて「真実・和解のための過去事整理委員会」が発掘して事実関係を認定した「自国民に対する虐殺事件」について、「裁判所によって国家の法的責任が認められていく」というプロセスが、今後さらに進むことになると思われます。

同時期に他の地域であった数ある事件についても、政治的に紆余曲折があるにしろ、この流れ自体を覆す要素はたぶんないでしょう。

朝鮮戦争時、韓国人25万人が同胞による虐殺の犠牲に、調査進む
2008年01月25日 00:11 発信地:清州/韓国

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2007年12月6日、韓国の首都ソウル(Seoul)南方330キロの慶山(Kyeongsan)市のコバルト鉱山に放置される朝鮮戦争中の自国政府による処刑被害者の遺骨。ほか160体分が発見されている。(c)AFP/CHOI WON-SUK

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2007年12月4日、韓国の首都ソウル(Seoul)南方130キロの清州(Cheongju)市にある忠北大学(Chungbuk University)の研究室で、朝鮮戦争中の自国軍による虐殺犠牲者の遺骨を見せるパク・ソンジュ(Park Sunjoo)教授。(c)AFP/CHOI WON-SUK

【1月24日 AFP】朝鮮戦争(1950-53年)から数十年の沈黙を経て、韓国でようやく自国史の暗い歴史が「真実・和解のための過去の歴史整理委員会」によって明らかにされつつある。共産主義者とみなされた数万人が自国民によって処刑された事実である。

 独立調査機関「真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission)」は、韓国全土約160か所の朝鮮戦争中の大量虐殺現場のうち4か所の調査を2006年7月から行っている。これまでに約400人分にあたる遺体の各部位を発掘したが、これは全犠牲者のほんの一部にすぎない。

 発掘作業により、山腹の塹壕跡に大量の犠牲者の遺骨が山となって、あるいは湿った坑道で泥にまみれ絡み合った状態などで発見されている。見つかった頭蓋骨の後頭部にはどれも背後から撃たれたとみられる銃痕が残っているという。

■「左派」韓国人25万人が自国当局の犠牲に

 朝鮮戦争後の右派軍事独裁政権の時代はもちろん、民主化を遂げた現在でも、過去に向き合うことに韓国の誰もが肯定的なわけではない。2010年4月までを期限とする真実和解委員会の活動に対し、疑問を投げかける保守派メディアもある。しかし、2005年に同委員会を発足させたリベラル派の盧武鉉ノ・ムヒョンRoh Moo-Hyun)政権は、国は過去の責任を負わなければならないとしている。

 盧大統領は、韓国南東部の蔚山(Ulsan)で24日行われた同委員会主催の犠牲者追悼式典にビデオメッセージを寄せ、このなかで「韓国民を代表する大統領として、当時の国家機関が行った不法行為について心から謝罪する」と大量虐殺に対する謝罪を述べた。

 同委員会によると、蔚山では1950年の7月から8月にかけて市民870人が裁判を経ずに処刑されたという。人権派弁護士として知られた盧大統領は、同委員会の目的について「真実を発見し、不当な扱いを受けた人たちの怒りを和らげ、彼らの名誉を回復することで真の和解を達成することだ」と語った。

 国立公文書館にあたる韓国国家記録院によると、朝鮮戦争中、殺害、または行方不明となった韓国側市民の数は約75万人にのぼる。 国家人権委員会(National Human Rights Commission)の出資で2005年に行われた調査では、このうち「左派」とみなされた韓国人25万人が、自国の軍隊や警察、民兵などに殺されたと推測される。一方、国家記録院によると、北朝鮮側でも非戦闘員108万人が死亡している。

 こうした犠牲者の実態に関する公式な数字はない。

 歴史家たちは、1950年7月に北朝鮮の侵攻を受けて韓国軍と警察隊が撤退を開始したころから、左派とみなされた非武装民間人の大量虐殺が始まったとみている。

■160か所中4か所で、約400体見つかる

 韓国中部の清州(Cheongju)市にある忠北大学(Chungbuk University)の法医学センターには、数百のプラスチック容器の中に犠牲者の頭蓋骨や人骨、骨片などがぎっしり保管されている。

 発掘を担当する法医学専門のパク・ソンジュ(Park Sunjoo)教授は「両手を後ろ縛りにされた犠牲者たちは、塹壕に向かって強制的にひざまずかされた状態で射殺され遺体となって壕の中に倒れ込んだ」と語る。同教授らの専門チームは、乾燥した骨を慎重に調査し記録を取っている。その一部としてパク教授は、清州から数キロの地にある丘の中腹から発見された110人分の遺骸の写真や資料などをAFP取材班に見せた。

 韓国南部の慶山(Kyeongsan)のコバルト鉱山でも、240人分の遺骸が放置されているのが発見された。1回の調査で発見された人骨としては最も多い。「射殺された犠牲者の遺体は、鉱山の深いトンネル内に投げ捨てられた。現在では、放置された骨同士が絡まり合い、1人分ずつに分けることは困難だ」とパク教授はいう。

 これまでに発掘された4か所のうち、残る2か所からも計47体の遺骨が発見されている。

 この4か所だけでも、さらに数千人分の遺骸が埋もれているとみられているが、厳寒の韓国では冬期の発掘作業は中断せざるをえない。真実和解委員会では春以降に作業を再開し、残る遺骨を発見したいとの期待を示す。同委員会の広報を務めるパク・ヤンイル(Park Young-Il)氏は「作業の中断により発掘完了までには数年を要するだろうが、国内にある他の虐殺現場へも調査が拡大することを期待したい」と述べた。

■調査で浮かび上がった目撃者たちの証言

 2007年に同委員会がまとめた報告書には、ある刑務所からコバルト鉱山に人々が連行された様子を語る目撃者談が取り上げられている。「毎日、朝9時から夜7時まで、人々を満載したトラックが次々に鉱山に到着しては45分おきに銃声が鳴り響き続けた」

 イ・テチョン(Lee Tae-Chyun)さん(70)はこの鉱山で行われた虐殺でいとこを失った。現在も時々坑道を訪れては、1人で親族のいとこの遺骸を探しているという。坑道の低い天井に頭をぶつけないよう身をかがめながら、イさんは懐中電灯で人骨の山を照らしてみせた。「当時、付近の住民は皆、この鉱山に連れてこられた者は全員殺されることを知っていたんだ」

 委員会への証言は犠牲者の遺族からだけではない。まれながら殺害に加わった側からももたらされる。

 ある元陸軍軍曹(81)は昨年、共産主義者とされた市民数十人の処刑をソウル東部江原道の横城(Hoengseong)で命じたことを告白した。この現場はまだ発掘調査されていない。しかし、元軍曹はこの証言以降、沈黙を守っており、真実和解委員会も証言者の罪を免責する権限はないと述べている。AFPもこの元軍曹には接触できなかった。

 調査担当の責任者ノ・ヨンスク(Noh Yong-Seok)氏は、こうした調査はすべて人間としての価値観に基づく問題だと語る。「儒教を尊ぶ韓国で、このように長年も遺骨を放置しておくことは正しいことではない。人権を尊重する国にふさわしくないことだ」(c)AFP/Jun Kwanwoo

http://www.afpbb.com/articles/-/2341088

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